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米が対朝鮮核攻撃を計画 54年と69年、機密解除資料で明らかに

 米国が朝鮮戦争後にも、朝鮮半島「有事」の際に原子爆弾の使用を計画していた事実が明らかになり、物議をかもしている。米政府が樹立した核攻撃計画に関する機密解除資料が最近、相次いで公開された。一つは、停戦協定締結翌年の1954年に立てられた計画で、もう一つは1969年、米軍の偵察機「EC−121」撃墜事件時の計画だ。

被害規模も予想

 54年、米国務省と国防総省、統合本部、中央情報局(CIA)、陸海空軍の首脳部の参加の下に開かれた戦略会議で朝鮮半島「有事」の際に原子爆弾による攻撃を含めた作戦計画が樹立された。

 米国のシンクタンク、ウッドロー・ウィルソンセンターが6月16日、最近機密解除になった当時のCIA作成の資料を公開し、このような事実が明らかになった。

 同資料によると、米国は「韓国が北朝鮮によってまた侵略を受けた場合、朝鮮半島から共産主義勢力を追い出す」という目標の下、核攻撃のシナリオを用意した。原子爆弾の攻撃目標は朝鮮国内の軍事施設と吉林、青島、瀋陽、天津などの中国の諸都市だ。当時、米国は原子爆弾による攻撃とともに中国の海岸に対する封鎖、台湾を前面に押し立てた大規模な中国本土攻撃、海南島占領計画も立てた。

 これは、米国が朝鮮戦争の再発時、中国共産党政権の崩壊まで狙っていたことを示すものだ。

 一方、米国はニクソン政権時代の69年、朝鮮に対する核攻撃とそれによる被害規模まで予想した「フリーダム・ドロップ」(Freedom Drop)という計画を作成した。当時、国防総省が作成した文書「核兵器非常計画」(Nuclear Contingency Plan、06年10月5日に機密解除)を、ジョージ・ワシントン大学付属のシンクタンクである国家安保文書保管所(NSA)が6月23日に公開した。

 「Freedom Drop」は69年4月に起こった「EC−121」撃墜事件(スパイ活動中だった米軍の「EC−121」機を朝鮮側が撃墜した事件)に対する米国側の軍事的対応策として立てられた計画。同計画には、▼0.2〜10キロトンの核兵器で飛行場と海軍基地など12カ所を攻撃▼70キロトンの核兵器で16カ所の飛行場を破壊▼10〜70キロトンの核兵器で朝鮮の軍事力を大部分無力化させる−という3つの内容が含まれているという。

 同計画はニクソン大統領をはじめキッシンジャー国家安全保障問題担当補佐官、レアード国防長官らによって検討された。米国が戦術核兵器を使用して朝鮮を攻撃する場合、少なくとも100人、最大で数千人の民間人死傷者が発生すると見積もっていたことも明らかになった。

 朝鮮をターゲットにした米国の核兵器使用計画は今まで何度も暴露されたことがあるが、攻撃目標と自国がこうむる被害まで詳細に明らかにした計画が一般に公開されるのは今回が初めてだという。

核脅威は変わらず

 このような事実は、朝鮮半島における本当の核脅威が誰によってもたらされているかをはっきりと示している。

 朝鮮は数十年間にわたって米国の核の脅威を受けてきた。米国は50年代後半から南朝鮮に核兵器を不法に持ち込み始め、朝鮮に対する核戦争演習を毎年のように行ってきた。

 現在のオバマ政権も朝鮮に対する核の脅しをやめてはいない。今年4月、米国が発表した「核態勢検討」(NPR報告書は朝鮮を核兵器不使用の対象から除外した。

 米国が過去に対朝鮮核攻撃計画を樹立していた事実が明らかになったことで、朝鮮のメディアは「任意の時に核兵器で朝鮮を先制攻撃して圧殺しようというのは米国の変わらない下心」(労働新聞6月28日付)だという論調を展開している。

 朝鮮外務省スポークスマンも同日、このような歴史的事実は「核には核で対応する道しかないというわれわれの決断がまったく正しかったということを立証している」と述べた。

とくに、米国が南朝鮮の哨戒艦「天安」号の沈没事件をきっかけにして朝鮮半島情勢を戦争瀬戸際まで追い込んでいる現在の状況は、「核抑止力を新たに発展した方法でさらに強化していくべき必要性を強調している」と主張した。(金志永記者)

[朝鮮新報 2010.7.7]