韓相烈牧師 命を賭した平壌行 広がる支持の動き |
南朝鮮の著名な統一運動人士である韓相烈牧師(韓国進歩連帯常任顧問)が北を訪れている。6.15共同宣言発表10周年を目前に控えた6月12日、電撃的に平壌入りした韓牧師は北の人々の熱烈な歓迎を受けた。8月15日に板門店を経て南に戻る意志を表明している韓牧師は滞在期間、北側のさまざまな場所を訪れて6.15共同宣言の履行と祖国統一を訴える予定だ。同氏の活動に内外の注目が集まっている。
「6.15生かすため」
到着声明や記者会見を通じて韓牧師は、訪問の目的について、「北南関係を破たんさせた李明博政権の反統一的策動を傍観していられず、6.15を生かし民族の和解と平和、統一に寄与するため」だと明らかにしている。 南朝鮮統一部は韓牧師が当局の許可をとらずに北を訪問したとして、帰還後、南北交流協力法に照らして処分を下す構えを見せている。南北交流協力法は、当局の承認を得ずに訪北した人間に対して「3年以下の懲役あるいは1千万ウォン以下の罰金に処する」と定めている。また司法当局が、韓牧師の北滞在期間の言動に対して「国家保安法」違反を適用するおそれも指摘されている。 韓牧師はこれに対し、「訪北するにあたって遺書を残してきた。6.15を救うために自らの命を投げ出すと決めた以上、何を恐れることがあろうか」と述べ、逮捕、投獄といった処分も受け入れる意向を示している。 89年の故文益煥牧師と林秀卿さんの訪北を皮切りに、当局の承認を得ない「不法訪北」が相次いだ。しかし、2000年の6.15共同宣言発表後は合法的な北訪問が可能になった。共同宣言の発表記念日などに際して北、南、海外3者による共同行事が行われるなど、「不法訪北」の必要性は事実上消滅したものと思われていた。 しかし李明博政権発足後、南側人士の訪北は大幅に制限された。さらに今年3月の「天安」号沈没事件を機に、李政権は開城工業地区などを除いて北南間の交流をいっさい中断すると宣言した。 韓牧師は今回、「われわれは必ず会わなければいけない」「6.15は必ず生かすべきだ」といった言葉を訪北前に残している。平壌到着声明でも、「民族の和解と平和、統一に寄与するために命がけで平壌に来た」と述べた。 これらの言葉には、李明博政権の反北対決政策によって北と南との出会い自体が「不法」になってしまったという現状認識が横たわっていると見ることができる。
南で支援団体結成
一方、南朝鮮では韓牧師の命を賭した訪北の決断を尊重し支持する動きが広がっている。 6月15日、韓牧師の所属教団である韓国キリスト教長老会など全羅北道地域の10の宗教団体が韓牧師の訪北決行に対する支持を表明した。これらの団体は声明書を通じて、「1989年の文益煥牧師と林秀卿さん、文奎鉉神父の訪北が南北の出会いの可能性を開いたきっかけだったとしたら、今回の韓相烈牧師の訪北は南と北はこれ以上離れて暮らすことはできないという宣言だ」と指摘し、韓牧師の行動を擁護した。 翌16日には韓国進歩連帯や全州地域教会、統一広場など南朝鮮の市民・社会団体と宗教団体が「韓牧師の良心と信念を守ろう」という目的から「6.15と平和、韓相烈牧師を支持する会」を結成した。 全羅北道のキリスト教徒らも22日、韓牧師の訪北を支持する祈祷会を開いた。 熱烈な歓迎受け 韓牧師は6月12日の平壌到着翌日から、精力的な活動を繰り広げている。 鳳岫教会やチルゴル教会の日曜礼拝に参加し、説教も行った。また、6.15共同宣言発表10周年記念中央報告会(14日)、6.15北側委員会メンバーとの交歓会(15日)に出席。さらに、祖国統一3大憲章記念塔、万景台学生少年宮殿、金日成総合大学などを参観した。 韓牧師は行く先々で人々の熱烈な歓迎を受けている。 23日、青年中央会館で行われた歓迎集会では、「6.15を生かし、北の同胞と共に統一の夢を分かち合うため『不法』に分断の障壁を乗り越え、平壌に来なければならなかった」と述べた。そして、「南に戻れば手錠と監獄が待っているが、民族和解と平和統一に少しでも寄与できるなら、これ以上望むものはない」と述べた。 これに対して6.15共同宣言実践北側委員会の安京浩委員長は、「果敢な実践で反統一勢力を断罪し、自主統一の力強い流れをつないでいく一念から生まれた正義の壮挙」だと韓牧師の平壌訪問を称えた。 平壌市民は89年の南朝鮮の全国大学生代表者協議会(全大協)代表の林秀卿さんの訪問を引き合いに出しながら、韓牧師の訪問の意義を強調している。当時、軍事境界線を越えて南朝鮮に戻った林さんは「国家保安法」違反で拘束された。 北側は、李明博政権の発足後、悪化の一路をたどっている北南関係の現状が6.15共同宣言発表10周年に際した韓牧師の訪問で再確認されたと見ている。 [朝鮮新報 2010.7.2] |