哨戒船「天安」号沈没事件 北魚雷攻撃はフィクション |
強引な「見込み調査」、露呈する矛盾点 南朝鮮当局が発表した哨戒船「天安」号沈没事件の「調査結果」に対する疑惑と不信が高まっている。朝鮮は「北の魚雷攻撃」を沈没原因と断定した今回の発表が「ねつ造」であるとして、南側が提示した「物証」を確認するため、国防委員会検閲団を現地に派遣する意向を示した。しかし南朝鮮当局は検閲団の受け入れを拒否したまま艦船沈没問題を国連安保理に提起した。事件の構図と北攻撃説の矛盾点を整理した。(金志永記者)
01 検閲団を拒否する理由 5W1Hの無いストーリー
5月20日、「民軍合同調査団」は「天安」号が左舷3メートル、水深6〜9メートルで起きた非接触魚雷爆発によって沈没し、それが北の「ヨノ(サケ)級」(130トン級)潜水艇から発射されたものだと発表した。しかし、「調査団」が提示した魚雷の残骸などは、あくまでも「状況証拠」にすぎず、それだけでは北の潜水艇が「天安」号に接近して魚雷を発射したと断定することはできない。 今回の「調査結果」では、北の潜水艇の浸入ルートや逃走経路が提示されなかった。そもそも北攻撃説にはストーリーを成立させるための要素が欠落している。南朝鮮当局の発表を鵜呑みにしたメディア報道も、記事の必須条件である「5W1H」をまともに伝えていない。 「誰が(who)」「いつ(when)」「どこで(where)」「何を(what)」「なぜ(why)」、「どのように(how)」に関して南の当局が一貫性のある説明を行っていないためだ。 「誰が(who)」という項目に「ヨノ級潜水艦」を強引にあてはめただけの北攻撃説の弱点は、魚雷発射の動機を示せないことにある。 すべての軍事作戦には目的がある。「天安」号は平時ではなく、米軍と南朝鮮軍の大規模な合同軍事演習の期間中に沈没した。連合部隊による反撃と戦争勃発の危険性があるにもかかわらず、「なぜ(why)」北が無謀な軍事行動を起こしたかについて納得できる説明はされていない。 米国と南朝鮮の海軍力が総動員され、二重、三重の監視システムが維持されていた水域に、北の潜水艇が「どのように(how)」浸入することができたかという疑問も解かれていない。当時、西海には米軍のイージス艦と南朝鮮軍のイージス艦が展開され、潜水艦「コロンビア」号と「崔茂宣」号も訓練に参加していた。ヘリコプターも展開していた。 常識的に考えれば◆北の潜水艇が最新鋭艦船の間に浸入しても発覚せず◆「天安」号を魚雷攻撃した後も敵軍に探知されず無事に逃走することは不可能だ。 客観的な状況から導き出される結論は、「当時『天安』号を標的にできる水域に北の潜水艇は存在しなかった」ということだ。それでも北による攻撃説を主張するなら、潜水艇の浸入に関する具体的な根拠が示されなければならない。説明責任は当然、嫌疑をかけた側にある。ところが南朝鮮当局は「天安」号が沈没する2〜3日前に小型潜水艦艇とこれを支援する母船が北の基地を離脱し、沈没した2〜3日後に帰還したことを確認したと強弁するだけで、その数日間の足跡は明らかにできなかった。行方がわからないといって、それが潜水艇による攻撃の証拠とはならない。しかし南の当局は 「北でなければ誰がやるのか」というばく然とした推定を「調査結果」として発表した。 仮想の状況だけを並べて、嘘を固めた偽証者としては、国防委員会検閲団という「決定的証人」が登場して朝鮮の「アリバイ(不在証明)」が確認されてしまうことをどうしても妨がなければならない。検閲団の受け入れ拒否は、ねつ造劇の構図を端的に示すものだ。
02 謀略劇の常套手法 「1번」−分析されない筆跡
「沈没原因の究明作業は、まず仮説を立てて、これを確実な証拠で裏付ける私の研究方法とほとんど同じであった」「(今回の成功は)科学的なアプローチというよりも韓国人特有の気質で粘り強く証拠を捜しだした結果だ」−「合同調査団」の民間側共同団長を務めた「韓国科学技術院」名誉教授の発言だ。 北攻撃説を裏付けたとされる「決定的な物証」が、沈没水域で発見されたという魚雷の推進体だ。「調査団」の共同団長も仮にその残骸物が発見されていなければ、沈没原因の解明において「機雷の可能性を完全に排除できなかった」と認めている。最先端の探知機を装備した数十隻の艦船が50日以上捜索しても発見できなかった魚雷の残骸を民間漁船が漁網ですくいあげたのは、「調査結果」発表の5日前のことだ。 北攻撃説を前提にせず、北が艦船沈没には無関係だという観点から見れば「調査団」が示した「物証」は文字通り「疑惑のかたまり」と言われてしかるべき代物だ。 たとえば、青いマジックペンによる「1번(一番)」の手書き文字が南側で書かれたものではないとする証明はなされていない。 「1번」という文字がいつ書かれたかということは、マジックのインク成分を分析すれば確認できる。 ところが「調査結果」の発表を前に、そのような作業は行われなかった。「調査団」は分析をするとマジックの文字が消えてしまい証拠がなくなると苦しい弁明をした。残骸はすべて錆びついている状態なのに、「1번」の文字があった部分だけはまるで誰かが手を入れたかのようにきれいだ、魚雷が爆発すれば発生した高熱によってインクの文字は消失し残らないはずである−等々の指摘についても科学的な反論はない。 世界が注視する艦船沈没事件の「物証」をでっち上げるということはありえないとの指摘もあるが、南朝鮮の場合は、そのような常識が必ずしも適用されない。 過去にも似たような出来事があった。魚雷の残骸を見て1973年の金大中拉致事件を思い出したという声が少なくない。その事件現場には朝鮮産の「白頭山」煙草が置かれていた。 事件の真相を隠すために、別人を連想させる「物証」を残すのは偽装工作の常套手法である。当事者がいみじくも語ったように、艦船沈没原因の調査過程には「韓国人特有の粘り強い気質」が発揮されたという。先に結論ありきの強引な見込み調査が行われ、北攻撃説という当初からの仮定を支える「物証」が土壇場になって持ち出されたことで「調査結果」に対する疑念はますます深まるばかりだ。
03 軍部による隠ぺい工作 公開されない「爆発」場面
南朝鮮の野党議員が秘密裏に接触した「民軍合同調査団」のある関係者は、◆事実上「調査」は軍部が主導した◆発表された多くの内容に同意できない◆とくに魚雷残骸物に書かれていた「1번」が「北によるもの」だという主張は納得できないし◆「決定的な証拠」として示された「1번」については米国側の関係者も驚いていたと証言した。 事件発生当初、軍当局は46人の犠牲を出した惨事の責任から逃れられない状況にあった。艦船沈没の真相解明は、軍事演習中に起きた「不祥事」の当事者である軍当局を関与させずに行われるべきだったが、実際には正反対の方向に事態が動いた。 内部告発者の証言にもあるように「民軍合同調査団」には軍当局の意向が唯一の基準として働いた。「民軍」とは名ばかりで民間人の大多数は「非軍人の国策研究機関関係者」であった。彼らは「調査」が行われる間、南朝鮮軍艦船「独島」号で「兵営」のような集団生活を送りながら作業した。 南朝鮮の「同盟国」である米国が中心となった「国際合同調査団」も、客観的な立場で調査に臨んだ気配はない。外国人の彼らには独自の調査権が与えられなかった。南側から提示されたデータに「同意」を与える役割だけが可能であった。 公正と中立性が保証されない「調査団」の存在は、制服軍人や軍関係者による「責任回避」「自己保身」が作業の出発点になったことを反証するものだ。艦船沈没の原因を明らかにするためには軍部が提示した「物証」を科学的に検証しなければならない。まだ公開されていない情報すなわち軍部によって隠ぺいされた事実も明らかにする必要がある。南の市民団体などは、沈没原因を確認するうえで基礎的データとなる「天安」号の航跡と交信の記録、南側の船舶はもちろん北側の船舶の位置と移動ルートまで表示するKNTDS(海軍戦術指揮統制システム)、そして沈没場面を撮影したTOD(熱画像監視装備)映像などの公開を要求している。 「調査団」が主張するように北の魚雷攻撃による「水中爆発」で艦船が沈没したならば、海上に高さ100メートルの水柱があがり、瞬時に船が真っ二つになるという。ところがその場面を見た「目撃者」はひとりもいない。南の国防部は「その瞬間を記録したTOD映像は存在しない」と主張し、「攻撃」から36秒後の場面を国会で公開した。しかし映像を見た野党議員は「爆発後、36秒が過ぎたのに艦首と艦尾が完全に分離されたようには見えなかった」と語っている。 「9.11テロ」は全世界がその「決定的瞬間」を目撃したが、その調査結果に疑問を投げかけた人々も少なくなかった。南朝鮮当局がでっち上げた「天安」号事件は北が行ったとする「攻撃」の場面さえも提示していない。 [朝鮮新報 2010.6.11] |