〈論調〉 核密約した「平和国家」 |
最近、米軍が1966年に沖縄から本州に核兵器をひそかに持ち込んだ事実が明らかになった。 これにより、米国の犯罪的な核戦争計画に同調した核の共犯者としての日本の正体があらためて露呈することになった。 日本が、1966年に沖縄から本州への米軍の核兵器持ち込みを容認した事実は多くのことを示唆している。 日本が1967年に核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核三原則」を掲げたのは周知の事実である。当時の佐藤栄作首相は、その「功」によりノーベル平和賞まで授与された。ところが、最近佐藤の自宅から1969年に日本と米国との間に合意した極秘文書が発見されたことで、国際社会に衝撃を与えた。 核の密約で米国核兵器の日本への持ち込みを容認しておきながら「非核三原則」をうんぬんした日本の行為こそ、裏ではやりたいことをしながらも表では空とぼける、日本特有の狡猾さと表裏不一致の極致であると言うべきであろう。 とりわけ問題になるのは、米国と日本が核密約文書に極東「有事」という文言を明記したことである。極東「有事」とはすなわち朝鮮半島「有事」を意味する。これは、米日の反動層が戦略的要衝に位置する朝鮮半島を戦争の方法で占領した後、アジアと世界に対する支配権を拡張しようとする企図の下に核の共謀をしたことを実証している。 日本は、「非核三原則」のびょうぶで隠した「平和国家」のベールを取り払い、犯罪的な日米核密約の事実を全面的に公開しなければならない。(労働新聞3月24日付) [朝鮮新報 2010.3.31] |