〈月間平壌レポート -10年8月-〉 北は平和、南は対決の姿勢鮮明に |
板門店の対照的な光景 【平壌発=姜イルク】「あまりにもひどすぎる」。20日、板門店を通じて南に帰った「韓国進歩連帯」常任顧問の韓相烈牧師が連行されていく場面をテレビの報道で見た市民たちは一様にこう話した。この日板門店には、北と南を分ける分離線の北側と南側でまったく対象的な光景が広がった。
スーツ姿の2人の男
午後2時50分、板門店の北側に「われらはひとつ」などの統一をテーマにした曲がスピーカーを通じて流れた。韓相烈牧師を送るために集まった200余人の開城市民たちは、統一旗を大きく振りながら、「わが民族同士!」「祖国統一!」などのスローガンを叫んだ。 板門閣から出てきた牧師は、群衆たちに笑顔であいさつしながら分離線に向かった。 分離線から数十メートルのところで、6.15北側委員会の安京浩委員長など北側関係者と抱擁しながら別れのあいさつを交わした。そして、また分離線に向かった。 すると、分離線の南側からはスーツ姿の男2人と20余人の憲兵が建物の陰から出てきた。その姿はとても威圧的で、殺伐とした雰囲気をつくりあげた。 牧師が分離線の南の地に足を踏み入れた瞬間、スーツ姿の男2人が左右から牧師の両腕をつかみ、そのまま連行していった。 北側の群衆からは怒りの声があがった。 北の関係者たちも怒り心頭だった。 そのスーツ姿の2人の男とは、国家情報院と統一部の要員で、6.15時代の北南行事で連絡官の役割をしていた人物だという。北の関係者たちは、行事の成功のためにともに汗を流したことのあるその男らの所属、名前、年齢はもちろん人格も把握している。 「統一人士」を弾圧する彼らの行為、そして、板門店にこのように殺伐とした雰囲気を演出したことは過去に一度もなかったと、南当局を糾弾していた。 思い起こせば、1989年に「不法」に北を訪問した「全国大学生代表者協議会」(全大協)代表の林秀卿学生と文圭鉉神父が、韓相烈牧師と同様に板門店を通じて南に帰った。北と南が鋭く対峙していたそのときでさえも、憲兵が分離線の前まで来て威圧することはなかった。 今回、韓相烈牧師を温かく送る北側と、殺伐とした雰囲気をつくりあげ牧師を連行した南側の対象的な板門店の光景は、どちらが平和と統一を願い、どちらが対立と戦争を願っているのかを物語っていた。 21年前と酷似 韓相烈牧師の南への帰還に先立ち南当局は、「無断訪北」した牧師が「天安」号沈没事件の責任が南当局にあると糾弾したり、北の体制をたたえたとし、南に戻りしだい逮捕するという「方針」を固めた。 北側はこれに激しく反発した。 6.15北側委員会は18日、スポークスマン声明を発表して南当局を糾弾。牧師が南に帰った後も、引き続き談話などを発表して、「統一人士」に対する弾圧の中止を求めている。 南でも牧師を不当に弾圧する当局に反対する闘争が繰り広げられている。 各地にいる海外同胞たちも、「韓相烈牧師を即時釈放せよ」との声をあげている。 このような状況は21年前と酷似している。当時も南当局に対する抗議と糾弾の声が北と南、海外で激しく沸き起こった。 当時、南では「北の人間には角が生えている」という言葉がまだ信じられていた「軍部独裁」時代だった。 平壌市民の間では、「状況は似ていても時代は変わっている。今は統一綱領である6.15共同宣言がある」という楽観的な声が聞かれる。 ある市民は、大衆は、わが民族同士と和解協力がいかに良いか6.15の「味」を知っているので、全民族がこぞって必ずや6.15の流れを呼び戻すだろうと熱く語っていた。 牧師の北での活動を伝えてきた朝鮮のメディアは、牧師の帰還後も牧師に対する南当局の不当な弾圧やそれに反対する南、海外での動きが随時報道されている。 市民たちは引き続き、韓相烈牧師をめぐる動きと朝鮮半島情勢の推移を注視している。 [朝鮮新報 2010.8.27] |