韓相烈牧師が白頭山地区を参観、統一を祈願 |
現地の人々が熱烈に歓迎
北側を訪問している「韓国進歩連帯」常任顧問の韓相烈牧師が19日から26日まで白頭山地区を参観した。牧師は6.15共同宣言の履行を熱く呼びかけ、現地の人々は牧師を熱烈に歓迎、激励した。 20日早朝、韓牧師は白頭山の山頂に登り、日の出を見た。牧師を案内した講師によると、明け方の4時頃には雨が降っていたが、牧師が到着した5時頃には空が晴れたという。 牧師は白頭山のチョンジ(天池)を望む山頂で「わが民族同士による統一万歳!」と叫んだ。そして統一旗を振りながら、記念写真を撮った。 その後ロープウェイに乗ってチョンジのふもとに降りた。 6.15共同宣言発表以後、南朝鮮のメディア代表団をはじめとする多くの関係者が白頭山地区を訪れた。 牧師が白頭山を参観するのは、今回が2度目である。 2001年に平壌で行われた8.15民族統一大祭典に南側代表団の関係者として参加した時、ここを参観したことがあるという。
その代表団には1989年に訪北し南側当局に逮捕された「全国大学生代表者協議会(全大協)」代表だった林秀卿さんも含まれていた。6.15時代が開かれ、南側の同胞による訪北を当局が「不法」だと取り締まる状況はなくなった。かつての全大協代表は、今度は一人ではなく300人以上の大規模な訪北団のメンバーになった。もちろん、その全員が「合法」的な訪問だった。
しかし李明博政権は過去の対決の時代へと時計の針を戻した。それまで頻繁に行われていた南側人士の訪北が不許可になるケースが次第に増えていった。韓牧師の今回の訪北について、南朝鮮当局は「不法」に行われたと騒ぎ立てている。そして艦船沈没事件をきっかけに、朝鮮半島には一触即発の危険な情勢が醸し出されている。 牧師は白頭山で「6.15を必ず再生しなければならない」と強調した。 牧師を案内した講師は「先生を忘れることなく、祖国の統一と民族の繁栄のために貢献する決意を新たにしている。南に戻っても健康な体で統一のために力強く活動してくれることを望む」と言った。 牧師は、白頭から漢拏まで一つになることを祈願する内容の詩を詠んだ。 三池淵邑には3万人余りの住民が住んでいる。その街の行く先々で会った人々は、牧師を統一の使節として歓迎し、手を振って激励した。白頭山を登山する途中だった平壌の少年団員が牧師に会って「ウリヌンハナ(私たちは一つ)」を合唱する場面もあった。 牧師は白頭山地区滞在中、三池淵郡、普天郡、大紅湍郡の各革命戦跡地と鯉明水の滝、千軍岩などの名所を参観した。 牧師は、抗日烈士の魂が息づく白頭山地区をいつか訪れてみたかったという。牧師は訪れた戦跡地で、抗日烈士に祈りを捧げた。牧師は「抗日の歴史に南と北に違いはない。白頭山地区で展開された抗日闘争の歴史は民族共通の歴史である」と語った。
南北の烈士のために祈祷
白頭山地区は抗日革命闘争を勝利へと導いた金日成主席の業績と抗日烈士の足跡が残っている地域である。貴重な史跡が多く分布している一大パノラマ博物館のようになっている。 牧師は19日から22日までの間、三池淵郡の三池淵大記念碑、三池淵の池、三池淵革命史蹟館、白頭山密営の生家、獅子峰密営革命戦跡地などを参観した。 1937年に金日成主席が指揮する部隊が滞在した「37年ペゲ峰宿営地」を最後に訪れた。ここで牧師は南と北の有名無名の抗日烈士のために祈祷して作った詩「無名烈士『チンダルレ(つつじ)』」を詠んだ。 牧師は北側を訪れる前に、光州の5.18墓域で11日間断食徹夜祈祷を行った事実を想起させ、「日帝に抵抗した民族の愛国烈士の歴史は、南と北が共に共有すべき歴史である。しかし南ではこれを忘れつつある。歴史にゆかりのある地を訪れ、5.18光州人民蜂起で犠牲になった烈士とともに、抗日烈士を祈祷して作った」と説明した。
「何度でも会わなければ」
23日、三池淵郡の勤労者、青年学生たちとの集いが三池淵郡学生少年宮殿で行われた。 韓相烈牧師が統一旗を振りながら会場に入場すると、数百人の参加者は熱烈な拍手で迎えた。 まず三池淵郡人民委員会のチャン・ジュナム副委員長が歓迎のあいさつを行った。 チャン副委員長は郡の全人民を代表し、統一なくして自主も民主も平和もないという確固たる信念と愛国愛族の意志を抱いて朝鮮を訪問した韓相列牧師が、三池淵郡を訪れたことを熱烈に歓迎すると言った。 続いて韓牧師が発言した。 牧師は2001年の8.15民族共同行事に参加した時、白頭山に向かう途中でこの地域に来たことがあると述べながら、当時は日程の関係で長時間滞在することができず、いつかまた来てみたかったのだが、それは観光地だからではなく、抗日烈士の魂が息づく抗日史跡の中心地だと思っていたからだと語った。 牧師は三池淵郡の住民による歓待と激励に謝意を表し「南北関係が断絶状態にある中で訪問した唯一の人物として、私を南側の全同胞を代表する人間と思って歓迎しているように見える。南には愛と自由、正義と平和統一、自主と民主の世界を実現するために献身している多くの同胞がいる」と言った。 牧師は「去る5月、5.18烈士墓で断食徹夜祈祷を捧げた時、烈士と一体になったと感じたが、ここでも抗日烈士と一体である事がわかった」としながら「烈士全員が統一を実現せよ、真の平和な世を実現せよと叫んでる。統一を必ず成し遂げ、新しい歴史を創造しよう。三池淵の同胞のみなさんが先頭に立って烈士の志を実践してください」と呼びかけた。 牧師は「監獄で皆さんのことを思い出すだろう。監獄から出てきたら、再びここを訪れたい。また会おう。私たちは何度でも会わなければならない」と力強く語った。 参加者は牧師の発言が終わると、大きな拍手を送った。 次に金日成社会主義青年同盟三池淵郡委員会のナム・チョルミン第1書記が発言した。 ナム第1書記は「先生が戻れば手錠と監獄が待っていることをあまりにもよく知っている。一身を捧げてでも6.15を守り通そうとする先生の決断は、熱烈な愛国心の表れであり、内外の全同胞を統一愛国運動へと力強く鼓舞している」と指摘し、「郡内の全人民は先生の愛国的な行動を積極的に支持しており、先生を統一の使節として温かく迎えている」と述べた。 そして「私たち全員が白頭の精気と気概を心に刻み、北南共同宣言の実践と祖国統一のためにより力強くたたかっていこう」と強調した。 その後、三池淵郡学生少年宮殿のサークルの子どもたちによる公演があった。「トンイルムジゲ(統一の虹)」をはじめとする統一を主題にした歌が披露され、客席と舞台が一つになった。 この日の集いに先だって牧師は、宮殿のサークル室を観覧した。 普天堡戦闘戦跡地で
韓牧師は24日、普天郡を訪れた。普天郡所在地には金日成主席が1937年6月4日に組織指揮し歴史的な普天堡戦闘の史跡がある。朝鮮人民革命軍が襲撃した警察官駐在所がそのまま残っており、襲撃され燃やされた面事務所、消防所、郵便所を再現した建物がある。 警察官駐在所を参観した牧師は、監獄のようになった狭い留置場を見て、記念写真を撮った。 続いて、普天堡戦闘時の史跡物と当時の新聞資料などが展示された普天堡革命博物館を参観した。 博物館館長は去る1998年に南朝鮮の「東亜日報」代表団もここを訪れ取材をしたことがあると言った。普天堡戦闘に対する解説を聞いた牧師は「一発の銃弾が全民族を眠りから覚ました。そして朝鮮は死んではおらず、生きていることを世界に示した。一度来てみたかった」と言った。 牧師は博物館で「普天堡」は続いている、外部勢力を追い出し、統一と平和を実現しようと言った。 大紅湍郡を参観 韓牧師は25日、大紅湍郡を訪れた。ここはジャガイモの名産地として広く知られている地であり、「先軍11景」の一つとしても有名である。 大紅湍チャンピョン農場を訪れた牧師は、展望台でジャガイモ畑を望み、畑を見て回った。 農場の管理委員長と話した牧師は「私は今『統一農作』をしている。統一したら大紅端に再び来てジャガイモ作りをしてみたい」と言った。 管理委員長は「統一農作」が終わったら、必ず来てほしいと言った。 牧師はこの日大紅湍革命戦跡地などを見学し、農業科学院ジャガイモ研究所、大紅湍ジャガイモ加工工場などを参観した。昼食は去る5月18日に金正日総書記が現地で指導された大紅湍そば店で行った。 [朝鮮新報 2010.7.30] |