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〈感想文〉 在日朝鮮学生中央芸術コンクールを観覧して

43年間の奇跡、目頭をぬぐって

 先日、東京朝鮮中高級学校高級部3年の孫娘が、舞踊部門の群舞と重舞、独舞に出演するとの知らせを聞きつけ、東京で開催された在日朝鮮学生中央芸術コンクールを観覧した。

 孫娘は初級部4年生のとき、朝鮮新報の記者をしていた父親を亡くし、埼玉朝鮮初中級学校で教師をしている母親のもとで舞踊を始めた。高級部3年間は平壌舞踊大学の通信教育を受け、その卒業公演で踊った作品をコンクールに出すというので、京都からはるばる東京へ駆けつけたのである。

 初日は中高級学校の舞踊部門を、2日目は午前・午後の2回にわたる優秀作品発表会を観覧した。孫娘が出演した群舞と重舞は金賞に選ばれ、群舞は優秀作品発表会にも出演することになったので喜びはひとしおだった。

 優秀作品で特に印象深かったのは東京中高・高級部の群舞「いつまでも青く」だ。芸術性の高さと華麗なテクニック、40人の舞姫たちの一糸乱れぬ舞いは圧巻だった。

 埼玉初中・初級部の群舞「お正月のもちつき」は、子どもたちの楽しい姿が表現されていて目を引いた。

 フィナーレを飾った京都朝鮮中高級学校高級部の洋楽器合奏「代を継いで」は、演奏技術が優れているばかりか出演者数と楽器の数においても観衆を圧倒していた。演奏を聴いていると自然と心が弾み肩が揺れてくる。タクトを振るのは若い教師だったが、レベルの高さは一目でわかった。この合奏は、総聯京都と地元の朝鮮学校の大きな誇りである。

 コンクールを観覧しながら、異国で育つ子どもたちが希望の羽を羽ばたかせながら朝鮮の歌をうたい、舞い、民族楽器を奏でる要因について思いをめぐらせてみた。この地における刃のような「朝鮮バッシング」の嵐は依然として静まることを知らないが、祖国があり、組織があり、ウリハッキョがあるからこそ、子どもたちは心置きなく芸術の晴れ舞台に立つことができるのではないだろうか。

 私は、私たちの宝であり未来であるこの子どもたちが、北は北海道から南は九州まで日本各地の朝鮮学校で学び、育ち、素晴らしい芸術コンクールを1度や2度ならず43年間も続けているのは奇跡的だとも考える。

 彼らが中央大会の舞台に立つまで、その道のりにはいろんな出来事があったにちがいない。朝早くから夜遅くまで練習に明け暮れる努力の日々があり、厳しい状況の中でも子どもたちに民族教育を受けさせようと苦労を買って出る保護者たちの姿がある。この中央大会にかかる費用だけでも交通費に宿泊費、衣装、小道具、楽器、それらの運搬費を考えると、保護者たちの熱意を感じずにはいられない。そうした背景までをも考えると、舞台に立つ子どもたちの晴れ姿を見ながら幾度も目頭が熱くなった。出演を終えてロビーに集まった子どもたちもまた喜びの涙を流していた。

 学生中央芸術コンクールは素晴らしかった。年老いた私の胸も高く青い空のように晴れ渡るようだった。(邵新一・京都市在住)

[朝鮮新報 2010.12.24]