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「天の声に導かれた訪朝」(下) 父、弟が訪れた地を再び

子どもたちを育てる大人の力

夢は科学者の4年生(綾羅小学校)

 綾羅小学校における共同制作は、紙の絵皿にマジックペンで好きな絵を描くというもの。自分の顔、家族や人形の顔など、縁取りの工夫も華やかな作品が揃った。

 早速仲良しになった4年生のキム・スンジン君とクァク・ウィウン君に「将来どんな人になりたい?」と質問すると、間髪入れず二人揃って「科学者!」と、何とも頼もしい表情である。

 綾羅小学校行事で楽しかったのは、龍岳山ハイキングであった。途中土砂降りに見舞われたが、小降りになったところで広げたお弁当は絶品。海苔巻き、玉子焼き、夏野菜に加えて食後のすいか等、みんな子どもたちのお母さんが準備してくれた。

 アコーディオン伴奏の先生も大活躍。子どもたちが歌った「故郷の春」は、私も日本語で仲間入りできた。音楽は世界共通の言葉である。

 「ハナ、トゥル、セッ!」

 子どもたちのいい表情をレンズに納めんと気合を入れる先生の表情も明るい。どこの国の子どもたちも、教師や保護者をはじめ、それぞれ出会う大人たちの温かい眼差しの中で心が育つ。

偶然は必然?!

綾羅小学校の校長先生を囲んで(前列中央が筆者)

 朝鮮革命博物館は、金日成主席によって導かれた革命闘争の歴史を集大成した記念館である。「全館丁寧に説明すると1週間かかりますが、今日は金日成主席の業績に絞って簡単に説明します」。紫色のチマ・チョゴリがよく似合う案内役の女性は、金日成主席の生い立ちから闘争の歴史をよどみなくしっかり1時間半かけて語り伝えてくれた。

 生家の模型、その他数々の闘争資料と共に陳列された拷問用具を見て、ふっと父の顔が思い浮かんだ。社会主義者であった父もまた数々の拷問を受ける獄中生活に耐えたのだった…と。

 その後朝鮮対外文化連絡協会の黄虎男局長にお会いして、今度は亡き私の弟の思い出につながった。黄局長は、当時日本社会党の書記長として日朝友好関係に努めていた弟の通訳として活躍されたという。「あなたがそのお姉さんだと聞いて私は耳を疑いましたよ」と驚く黄さん。偶然の出会いはさらに金日成主席の生家を訪れたことで、運命的な出会いにつながったのである。

 実は万景台見学と平壌市内にあるカトリック教会訪問予定は、二手に分かれての行動が決まっていた。しかし前日に聖堂訪問と決めていたにも関わらず、私はなぜか出発間際に急遽予定変更して万景台行きのバスに飛び乗ったのだった。

平和のための活動を

 帰国してから偶然に古いアルバムを整理する段階で、1969年、父が「日本社会党訪朝団」の団長として友好関係を築いていた事実が判明した。しかも金日成主席の藁葺きの家の前で写した写真を見て驚いた。父も私も左から数えて4人目の中央に立つ姿がまったく同位置で重なっていたのだから。弟と親交を結んだ若き日の黄さんの写真も見つかり、また心が騒いだ。

 運命に偶然はないというコトバがある。自ら歩む道はいつ知らず自ら選び取る道につながるのかもしれない。行ってみたいという軽い気持ちは、帰ってから行くべくして行った私の道であったと、今は感慨深くとらえている。

 たった一度の平壌訪問だけで、朝鮮の現状を語ることは当然無理である。しかし常に灰色に包まれた情報だけに頼るのも虚しい。自分が出会った人たちとの心のつながりを大切にして、少なくとも「ともだち展」で友好を結ぶ子どもたちの現状と未来を明るく見守っていきたい。

 自分にできることは何か?絶えず問いつつ、これからも子どもと本を結ぶ平和活動を自分のできる範囲で取り組んでいこう。(山花郁子・児童文学作家)

[朝鮮新報 2010.11.26]