〈投稿〉 至福の音楽会 |
私は、音楽会に行き胸に響く良い音楽に身をゆだねる時が至福のひとときだと思っている。年間おおよそ10回くらいは大小の音楽会に行ければとの望みというか目標を持っている。 この夏、学生たちと共に朝鮮を訪問し、音楽会に何度か招かれる機会を得ることができた。朝鮮では「天の川」、「万寿台」、「国立交響楽団」、「万景台学生少年宮殿」の公演などを観た。すでに祖国滞在期間中に音楽会10回の目標を突破できそうだった。 祖国への思いや情緒を満喫できるわが国の音楽は、やはりどんな音楽より私の胸を打つ。中でも印象深かったものの一つが国立交響楽団の公演だ。 私たちの案内人の夫が、交響楽団の演奏家という縁もあって、学生たちと共に2回も公演を観る機会に恵まれた。 わが国の音楽は大きく変わっていた。 昨年、わが国では「変革の年」として、「変革するわが国」という歌まで出たが、音楽も交響楽団の演奏も数年前とはその姿が格段と異なり進化しているように思えた。 まず感じたのはやはり作曲、編曲での変化だ。 作・編曲で枠にとらわれることなくさまざまな表現手段が大胆に、積極的に取り入れられた結果、曲を聴く面白味がはるかに増した。 過去には、音楽会が枠に収まった、強いて言えば音楽を聴いているのか講習を受けているのか分からないような感じもしないではなかったが、今は音楽の持つ魅力が圧倒的に増して、人々を感動の世界に導いている。 さらに指揮者の個性をとても感じられるようになった。 楽団の演奏は指揮者に左右される。今回祖国で観た20代の若い指揮者のタクトを見ながら、私はわが国の交響楽団があと50年は大丈夫だろうと考えるようになった。 どれほど魅力的な指揮をしたのか、本当に指揮だけを見てもその世界に引き込まれていきそうな印象を受けた。 次に聴衆を含めた演奏会の雰囲気だ。 最後の演目「青山里に豊年がきた」を終えて「アンコール」が鳴り響き、はたまた「ブラボー!」との歓声まで飛び交い、鳴り止まぬ拍手喝采のなか司会者が登場し、幕を下ろせずにいる現象まで起きた。祖国で演奏会に出ながらこういう光景を体験するのは初めてだ。聴衆たちの側にも変化が起きていると実感した。 数年前に新設された交響楽団専門の牡丹峰劇場そして今回、金正日総書記の配慮で交響楽団全員が入居することになったという驚く程立派な高層アパート。本当に「苦難の行軍」時期に彼らが一つの弁当を互いに分け合いながら培ってきた芽が、今日花開いているのではないだろうか! 私は音楽人としてこの現実が自分のことのようにうれしく感じられた。(盧相鉉、朝鮮大学校教育学部音楽科教員) [朝鮮新報 2010.10.22] |