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第7回オモニ会会長、子育て支援担当者たちの集い オモニの力で朝鮮学校を守ろう!

東西で231人が参加

全会議の一場面(東日本会議)

 「第7回オモニ会会長、子育て支援担当者たちの集い」が、女性同盟中央の主催で東日本集会(9月6日、朝鮮出版会館)と西日本集会(8日、神戸市立生田文化会館)に分けて開催された。

 集いには、各校オモニ会会長と代表、女性同盟本部と支部の子育て支援担当者ら231人(東日本会議に91人、西日本会議に140人)の同胞女性が参加した。

 集いでは、総連中央権利福祉委員会の邵哲珍副委員長が講演した後、茨城朝鮮初中高級学校の崔寅泰校長が40年にわたる民族教育現場での経験について語り、「子どもたちに与えられる最高の愛が民族教育」だと感銘深く話した。

 続いて、東日本会議では3人、西日本会議では4人の討論が行われ、グループ別経験交換会では、朝鮮学校を守り児童・生徒・園児をより多く受け入れるための活動について活発な討論が行われた。

 西日本会議で行った李福順さん(中大阪朝鮮初級学校オモニ会会長)の討論内容は次の通り。

李福順さんの討論内容 サークル結成から3年、園児数10人増、今年さらに7人増

5回目を迎えた「トトリの森」のクリスマス(09年12月)

 在日同胞の子どもたちのための民族教育が始まって65年が過ぎた。かつて私が通っていた東京朝鮮第5初中級学校には、1学年に2クラスあり、その後通った東京朝鮮中高級学校高級部には1学年に12クラスもあった。当時は全国的に子どもの数が多く、イベントごとにたくさんの子どもたちが参加して大いににぎわった。当時の私は、母親になったとき、ウリハッキョの児童、園児の数がこれほどまで減るとは夢にも思っていなかった。

 私は、結婚を機に大阪へ移り、息子2人と娘1人を育てている。長男(中1)が初級部に入学するとき、1年生は9人だった。後に1人転校してきて10人に増えたが、大阪のど真ん中の学校でこの人数は尋常ではなかった。次男が幼稚班に入園するときには、幼稚班に通う男児は息子1人だけだった。その後、長女が入園するときには、新入園児は娘ともう1人の女児だけ。幼稚班はまるで小さな託児所のようだった。

 こうした状況は突然始まったわけではない。数年前から「危機」は迫りつつあったが、誰もが「誰かがどうにかしてくれるだろう」と考えていたのだろう。総連本部、支部、学校、先生、保護者、皆が傍観者で、洪水に流される家をただ眺めるしか術がないように、目の前の現実を恨むばかりだった。

 時を同じくして5年前、ある保護者の提案で、中大阪地域に子育てサークル「トトリの森」が結成された。

 オンマたちで役員を決め、子どもとオンマが楽しめる内容を月ごとに決め、まずは幼い子どものいるオンマたちを誘うことから始めた。サークルは次第にオンマたちの親睦の場、リフレッシュの場として成長していった。区役所や日本の福祉団体との連携も深め、地元の子育てサークルとして「トトリの森」をどんどん宣伝した。代表は、大阪市や他の団体から出る助成金を研究し、助成金をもらえるよう工夫を凝らした。いつしかサークルには、朝鮮学校対象者に限らず、南朝鮮から嫁いできたオンマと子ども、同胞と結婚した日本人女性と子どもたちも参加するようになった。毎年12月に開かれるクリスマス会は、100人を超える参加者たちでにぎわうほどの盛況ぶりだ。

中大阪朝鮮初級学校付属幼稚班の開放保育(07年6月)

 サークルがスタートして3年目の春。4人で園生活を送っていた娘が年長組になったとき、新入園児が9人、全園児数は14人に増え、今年はさらに7人の入園児を迎え入れて、園児数は17人に増えた。

 たった4人の園児でも、子どもたちは元気に過ごしていたけれど、今教室から聞こえてくる子どもたちの歌声や笑い声には勝てない。

 最初は朝鮮幼稚班へ入園させるのを拒んでいたオンマもいたが、今では「ウリ幼稚班に入れて本当に良かった。来年は下の子も入園させる」と、早々と願書を提出している。子どもたちがウリマルを使い、ウリノレを歌い、踊る姿は、ウリ幼稚班の一番の誇りである。

 昨年12月、中大阪初級が他校と統合されるとの話が持ち上がり、保護者と先生たちは大きなショックを受け動揺した。それから何度も学校に集まって会議を開いた。

 保護者の不安は子どもたちにも伝わり、それを見る保護者の胸はとても痛んだ。

 その時、初めて皆が学校の問題を自身の問題として真摯に受け止め、「教育会会長」になった気持ちで、学校を維持する方法を真剣に考えた。理事会、アボジ会では資金繰りに知恵を絞り、オンマたちも物品販売などで学校運営をサポートした。園児・新入生の受け入れにも力を入れ、体験保育、オリニマダンなどの行事に「トトリの森」やmixiで親しくなったオンマたちにも声をかけた。

 「時すでに遅し」という人もいるかもしれない。それでも、最初からあきらめることはできないし、あきらめてはならない。

 日本各地で朝鮮学校が統合されていくのを、もうこれ以上進めてはならない!

 どの学校もなくなってはいけない。学校がなくなればその地域の同胞コミュニティーも消滅してしまう。

 本来、学校運営、児童受け入れ事業などは、保護者が担う仕事ではない。しかし、それを誰がすべきなのかを問いただしている時間は既にない。総連本部、支部、学校、先生、保護者、卒業生、皆が取り組まなくてはならない。地域、学校を問わず、皆が手を取り合って団結しなくてはならない。

 民族教育を取り巻く環境は、65年経った今でも変わりなく厳しい。残念ながら日本という国はそういうところなのだ。ラグビー、サッカー、各種コンクール…環境が整った日本の学校を差し置いて、ウリハッキョの生徒たちが全国大会に出場し、ウリハッキョの素晴らしさを大いに示している。これらを後押しするのが保護者の役目だ。いつの時代もオンマたちは大変だけど、「やらなきゃいけないこと」を「やりたいこと」「希望」と考え取り組んでいければ、大変なことも喜びに変わるかもしれない。

 10、11月は各校でバザーが開かれる。先日、東京の同級生から売店のメニューについて相談のメールが届いた。その質問に私も答え、北海道に嫁いだ同級生も答えた。千葉にいる同級生は、子育てサークルの運営についてアドバイスを求める。日本各地で暮らす同級生たちがオンマになり、互いにオモニ会の活動について意見交換する。どんなに素晴らしいことか!

 これからオモニ会連絡網を全国的に拡大して、オモニ会の活動にたくさんの人たちのアイディアや意見が行き交うことを想像すると、なんとも頼もしく思えてくる。

 私はこれからもウリハッキョが子どもたちの笑いと歌声が途切れることのない最高の場であることを願っている。(金潤順)

[朝鮮新報 2010.10.1]