top_rogo.gif (16396 bytes)

「高校無償化」法の構造と問題点 米田俊彦・お茶の水女子大学教授の報告

 朝鮮学校の「高校無償化」問題を考える学習討論集会(3日、一橋大学)で行われた、お茶の水女子大学の米田俊彦教授の報告「『高校無償化』法の構造と問題点」の要旨を紹介する。

−「高等学校の課程」について

 「高等学校の課程に類する課程」なる語は今回の高校無償化法で登場した。これまで使ってきた「同等の課程」でなく初めて「類する課程」なる語が使われているため、ほぼ制度の外形を意味しているものと考えられるが、特に恣意的な議論がなされる場合に、制度の外形ではなく、学習指導要領を前提とする教育の内容を含む概念として語られる余地を含んでいる。

−大学入学資格について

 朝鮮高校の大学入学資格を個別審査による認定にしていること自体、あってはならない制度的差別だが、実際にはおそらく個別審査で資格が認められなかった事例はないと考えられる。

 また、個人申請をクリアするだけの教育課程を実施しているのであれば、朝鮮高校の課程は、高等学校の課程に十分に類しているといえる。

−まとめ

 学校を国民教育(国民支配)の装置と考え、学習指導要領をその重要な手段とする教育政策の基本的なスタンスは、しばらくの間は変わらないように思われる。しかし、民族教育の権利や自由を前提とする外国人学校制度を早く構築する必要がある。

 法に基づく制度は、公平、公正で、すべての人々の権利を同等に保障するものでなければならず、特定の人々の権利を侵害するようなものであってはならない。戦後の日本の朝鮮学校あるいは外国人学校に関する制度は、大きくゆがんだものである。

 高等学校教育無償化は子ども手当てと一連のもので、子どもの教育に関わる負担を社会全体で担っていくという理念が前提になっている。限定された知識・技術を修得するための教育、あるいは短期間の限定された教育を受ける場合を除き、一定の幅の広さのカリキュラムを通じて10代後半の時期の人間的成長が期待されるような後期中等教育段階の学校教育を網羅的に対象にして、その費用を無償化する(あるいは無償化相当額を補助する)という趣旨ではないか。ここから朝鮮高校を除外する合理的な理由は見当たらない。

 朝鮮学校に限らず、半ば巻き添えになって制度化や行政的な支援が遅れている他の外国人学校も含めて、根本的なあり方の見直しがなされなければならない。

[朝鮮新報 2010.8.27]