初めて日本語で詩を書いた 許玉汝さん |
「民族守らねば」切迫感 ハラボジの教え 長年に渡り、朝鮮語で詩を綴ってきた許玉汝さん(61、大阪府在住、文芸同大阪)は今回初めて日本語の詩にチャレンジした。河津さんの呼びかけを受け、初めは書けるだろうかと悩みに悩んだという。同時に、なぜ今まで日本語で詩を書かなかったのだろうかと自問自答した。日本で生まれ育ち、日本語で読み書き、会話もできる。しかし、詩を書こうとペンを走らせると自然と出てくるのは朝鮮語だった。 「きっとハラボジの影響が大きかった」−許さんのハラボジは、日本で空襲に遭い片足を失くした。幼少期のある日、ハラボジのもぎ取られた跡が残る足を目の当たりにした。その痛々しい光景を前にして目を丸くしていた彼女に、ハラボジは朝鮮語でこう語りかけた。 「朝鮮語の勉強を一生懸命にしなければ、また国を取られるぞ」 幼きゆえに深い意味はわからなかったが、ショックを受けたことは今でも鮮明に覚えているという。ハラボジは、話をするときも、朝鮮の昔話や故郷の話を聞かせてくれるときも、いつも朝鮮語だった。 「だから私も本能的に、日本語でしゃべったり日本語で詩を書くことは、ハラボジが足を奪われたように、また国を奪われることにつながると思い込んでいたのかもしれない」 ウリハッキョを守る思い 許さんは、40余年間、民族教育の教壇に立ってきた。常に朝鮮語に関心を寄せ、意識的に生徒の朝鮮語を育み、教員たちにも朝鮮語の大切さを広く呼びかけてきた。そのなかで自らは、数々の朝鮮語の詩を創作し発表してきた。 言葉を失うと、国や民族が奪われてしまう。異国の地で、朝鮮人として生きるため、教え子たちを真の朝鮮人に育てるため、日々朝鮮語と向き合い、追求してきた。 在日朝鮮人にとって民族教育は、朝鮮語をしっかりと身につけ、徳のある豊かな人材を育むかけがえのない場である。今、その神聖な空間で学ぶ子どもたちが不当に傷つけられている。朝鮮学校に対する日本政府の差別は、一過性のものではない。許さん自身、あらゆる民族差別に反対する同胞たちと共にたたかってきた。 「今も昔も本質的に日本の差別政策に変わりはない。かえって陰湿になっている。政治家もマスコミも『言ったもん勝ち』と言わんばかりに、好き勝手に流している」 そんな理不尽な差別政策を万が一許してしまえば、今まで築き上げてきたものをすべて失ってしまうかもしれないという危機感に襲われた。「ウリハッキョを守らなければならない。そのためには、ウリハッキョが在日朝鮮人にとって、どんなに大切な場なのかを訴えなければならない」という一心で、今回、ペンを執った。これからも朝鮮人として凛として生きていくために日本語で詩を綴ったのだ。 また、それは、言い換えれば、日本人に向けて書いた初めての詩でもある。今まで朝鮮語で書き下ろし内々で発表してきたものを、日本社会に向けて発信した。詩・歌人たちが在日の思いを赤裸々に、もっともっと広い世界へと広めるきっかけとなった。 共同作業を通じて 河津さんとの出会いは、彼女の中にあった日本人へのわだかまりを取り払ってくれた。アンソロジーの共同制作過程で、「国籍や民族ではなく、何を考え何を思って生きていくのかが大事」ということを、身を持って悟った。2カ月という短い間に「60年分の会話」をし、心が通じ合う日本の友と出会えた。同じ時空、同じ志で一つのものを作る連帯感の強さは、優に朝・日間の隔たりを越えていた。 いつかはもっと楽しい未来につながる朝・日の選集が編めることを願っている。そして、「たくさんの人にアンソロジーを手に取ってもらいたい。それが『無償化』問題の運動の輪を広げることだと信じている」と話した。(文−姜裕香、写真−文光善記者) [朝鮮新報 2010.8.24] |