〈投稿〉 草の根の日朝交流 |
「私たちのこと、私たちの学校のことをもっと知ってほしいのです」 2010年6月6日、名古屋市緑区の区役所ホールに、その女生徒の声は静かに響いた。 これは「私学を良くする愛知父母懇談会」(以下「父母懇」)が主催する「初夏のつどい」の一場面であり、この訴えをしたのが、豊明市にある愛知朝鮮中高級学校(以下「朝高」)の女子生徒だ。この「初夏のつどい」は、愛知県下約50の会場で開催され、「高校授業料の公私格差是正」「教育の機会均等」を訴えている。 話は10年以上前にさかのぼる。 そもそもは、愛知県の私学高校生が主催する「高校生フェスティバル」のイベントに朝高の生徒が参加したことがきっかけで、今では「ハムケ」と呼ばれる高校生同士の交流も続いている。その後、緑区(豊明市に隣接)では、6月の「初夏のつどい」と11月の「オータムフェスティバル」で、朝高の生徒たちに毎年美しい舞踊や民謡を披露していただいている。そして、私たちはこの集会を通して、朝高の多くの事実を知ることにもなった。 先述の通り、これらの集会は「公私格差是正」を訴えて30年の歳月を数え、30倍以上あった授業料の公私格差が、昨年までに約5倍まで縮小した。しかし、今年度からの「公立無償化」によって、また格差は広がった。だが、それ以上に朝高の実情は深刻だ。引率の先生に話を聞けば、「外国人学校の中で就学支援金を受けられないのは朝高だけであり、教員の給料も日本の先生方のより低い」と言う。さらに「お恥ずかしい話だが、校舎の耐震工事もできず、震度6以上の地震で…」と苦笑いをされた。私自身も2年前に行われた、「愛知朝高60周年記念行事」にお招きを受けた際、初めてその学舎に足を踏み入れたが、その老朽化は否めない。しかし、私が今までに出会った朝高生はいずれも礼儀正しく、健全な青年たちであった。それゆえに、彼らが経済的な負担を感じることなく高校生活を送ってほしいと切に願う。 7月10日、これも今年で3年目となるが、朝高「オモニ会」のみなさんを招いて、緑区の地区会館調理室にて「料理教室」を開催した(写真)。2年前は「冷麺」、昨年は「薬飯」を作り、今年は「チャプチェとキムパプ」を教えていただいた。この会は「朝鮮料理」に舌鼓を打ちつつ、互いの交流を深める貴重な時間となっている。これはまさに異文化交流であり、とくに初年度では、日本の父母から「(朝高が)地元にあることは知っていたが、『恐さ』があって近寄りがたい存在だった」と率直な意見が出ると、オモニの方も「今では生徒の中に朝鮮籍をはじめ韓国籍など国籍も多様で、教育内容も日本の高校とほとんど変わらない」と実情が語られ、共通の理解を深めている。 そして3年目の今では、互いの存在に違和感はなく、一人でも多くの日本人が朝高のことを知る必要があり、朝高を舞台とした行事を共催することで、理解者の陣地を広げる道を模索している。 また2010年の今年、忘れてはならないのが「韓国併合100年」である。そこで、7月17〜19日に椙山高校などを舞台に行われた「愛知サマーセミナー」で、金宗鎮先生(元朝高校長)の講演「韓国併合100年―朝・日関係を検証する」を拝聴した。まさに「目からウロコが落ちる」とはこの事で、朝鮮人のアイデンティティーについて、その言葉一つ一つが心に染み込んできた。会場は一般教室で、席は40あまりだが、高校生・市民・教師をあわせて60人はいたであろうか、追加の椅子が足りないほどであった。 その中で、「朝鮮は長い間、他国の支配を受けてきた。だから朝鮮人にとって一番大切なことは『独立』しているという状況なのです」「だからこそ朝鮮民主主義人民共和国には戦後60年間、他国の基地は一つもないのです」と語られた。また「私たちにとって一番の願いは南北の統一であり、2000年6月の首脳会談の実現と6.15共同宣言は、夢を見ているように嬉しかった」と話された時、われわれ日本人が、その事実に大した関心を寄せていなかったことに、申しわけない気持ちにもなった。その他にも、南の「艦船沈没事件」に対する日本の報道など、私たちの知らない側面が語られ、聴衆は熱心に耳を傾けていた。 「私たちのこと、私たちの学校のことをもっと知ってほしいのです」 舞踊の発表が終わり、息上がる声そのままに、必死に訴えていた生徒の姿を思い返すたびに、その気持ちは増していく。(杉森司郎、東海学園高校教諭) [朝鮮新報 2010.8.21] |