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〈人権作文集〉 強い「思い」

 前にタクシーに乗ったときのできごとです。

 運転手の人と話しているとき、部活の話になりました。

 「お客さんは何の部活に入ってるん?」

 「吹奏楽部です」

 このときにコンクールの話もしました。

 地域ではどこの学校がうまいか、という話になりました。そこで私が在日朝鮮人の方たちが通う学校のことを言いました。すると運転手の人が

 「朝鮮人が日本のコンクールなんか出んと国に帰って行進でもしておけばええのになぁ」

 そう言われたとき、何も言えませんでした。

 ですが、心の中では「なぜそんなことを言うのだろう」と思っていました。

 国籍は違うけれど、住んでいる所が日本であることも、「人間」であることも私たちと何も変わらないのに…。

 その人に「それは違う。そんな考え方をしてはいけない」と言えなかったことを後悔しています。

 確かに今、朝鮮は「核兵器」を持っていて、ミサイル発射の事件などの問題はあります。

 ですが、私たちのそばにいる朝鮮の人、もちろんミサイルなど計画に携わっている政府の人たち以外の人々も全く関係のないことです。なのに周りから攻撃を受けるなんておかしいことなのです。

 私はその学校の生徒と交流があります。彼女たちはとても明るくて元気で優しい人たちです。音楽にはとても力強い「思い」がこもっていました。「日本人には負けない」という思いもあるでしょうが、もっと違う大切なものでした。

 それは「平和」という思いです。その思いを音に込めて演奏しているそうです。それを聞いたとき私は、「ああ、そうなのか」と納得しました。なぜかというと、演奏を聴いていると何か伝わってくるし、迫ってくるものがあったからです。メールのやりとりをしているとき、自分の名前を漢字にしたり、自分たちのことをハングルで表したりしていて、とても母国を大切にしているんだなと感じました。

 もし私がその立場であれば変に気を使ってしまってできないだろうし、何か言われたらどうしようと思い怯えてしまっていただろうと思います。だから母国の言葉や音楽をしていても堂々としている姿を見て憧れたし、今まで自分の持っていた偏見や考え方が恥ずかしくなりました。

 「母国を愛する」という行為をとてもうらやましく思います。私は今、日本のことを心から「好き」だとは言い切れません。文化や言葉は素晴らしいと思いますが、「人」のことがあまり「好き」ではないのです。私が出会った運転手の人のような考え方を持つ人がいるかぎり私は「愛する」ことはできません。

 そんな人たちをなくすため、もう一歩勇気を出して自分の心の内を言えたらいいなと思うし、言わなければならないと思います。

 音楽は国境を越えて相手にも伝わるものです。在日朝鮮の生徒さん方の演奏を聴いて、もっと人々が強い「思い」を感じてほしいと思いました。(猪名川町立中谷中学校3年 山野榛華)

※兵庫県猪名川町の人権作文集に掲載されたもの

[朝鮮新報 2010.6.11]