〈民族教育を守る「差別を許さない」−B〉 オモニたちの信念 |
「朝鮮学校に送ってよかった」 分かち合った共感
平壌で子どもたちが出演する「迎春公演」(2月14日)を観覧したオモニたちは、日本に戻るなり、厳しい現実を突き付けられた。中井拉致問題担当大臣が「高校無償化」の対象から朝鮮学校を除外するよう要請したというニュースが伝えられたのは、オモニたちが日本に戻って来た2日後。祖国訪問の余韻に浸る間もなかった。 オモニたちは、祖国の姿を自分の目で見て実情を知り、祖国の人々の子どもたちへの配慮と愛情に触れ感激した。平壌に1カ月滞在し公演に出演したことで見違えるほど成長したわが子の姿を見て、大きな感動を得た。 全国の朝鮮学校から選ばれた子どもたちがすぐに仲良くなったように、オモニたちも平壌に着いて一晩で「古い親友のように仲良くなった」という。日本に帰った後は「メル友」に。 「朝鮮学校に行けばみんな同胞だから安心。初めて会った人でも、朝鮮学校出身というだけですぐに打ち解けられる。そして同じ境遇にいるからこそ生まれる連帯感もある」 オモニたちは祖国訪問を通じて、「子どもたちを朝鮮学校に送ってよかった」と共感し合えたという。それだけに、今回の「無償化」問題に対する憤りも大きく、怒りを共有している。 「教育内容について指図される筋合いはない。何十年間差別を受け続けているが、卒業生たちはみな日本社会で立派に生きている。そして朝・日のかけ橋にもなっている」 「自分の祖国と民族を大切に思うからこそ、他の国や文化を尊重することができる。こんな素晴らしい人間を育てる学校がなぜ差別されなければならないのか」 民族を教える学校 朝鮮高級学校出身のある同胞はこう語った。 「同級生たちは、弁護士、会計士、医師、学者、スポーツ選手、朝鮮学校教員などさまざまな分野に進出し活躍している。こうした人たちを育てる民族教育に誇りを持っている。朝鮮学校だけが問題視されることは、民族教育を全否定されているようで悔しい」 教育の良し悪しは誰にも判断できない。その教育がどういう人間を育てたのかという結果によってしか判断することはできない。 朝鮮高級学校出身者たちが、同胞社会の次世代を育てる教育者や同胞高齢者をいたわる福祉関係の仕事につくなどして同胞社会を担い、また一方で日本の国立大学への進学、国家資格取得、スポーツ、芸術、文化などでの活躍、日本企業への就職など、日本の高校出身者と変わらぬ道を歩んでいる事実だけ見れば、「無償化」の対象に含めるか否かの議論が不毛であることがわかる。 朝鮮学校と日本学校の違いは、朝鮮について教えるということだ。それが、朝鮮学校の朝鮮学校たる所以でもある。 朝鮮学校に子どもを送るあるオモニは「朝鮮学校では、同胞の教員が朝鮮語で、在日同胞の実情に合わせて、祖国と民族の歴史や文化を教えている。これがなければ朝鮮学校が存在する意味はない」と語る。 民族教育は子どもたちに民族について教えたいという願いから始まった。そして各地に朝鮮学校が建てられ、体系的な民族教育が施されるようになった。それを解放後、経済再建もままならないなかで支援してくれたのが朝鮮だった。家族や親せきも暮らしている。 同胞たちが祖国や民族に思いを馳せるのは、そうするように指示されているからではなく、感謝、血筋、親近感、正当性といった背景からくる自然な行為なのだ。 「なぜ祖国に行くこと、祖国を支持することが制限されなければならないのか」―オモニたちは歯がゆい思いをしている。 行動するオモニたち 朝鮮を訪問したオモニたちは、学校のため、同胞社会のために自分たちにできることは、周りの人たちに真実を伝えてあげることだと考えている。朝鮮で見聞きし体験したことを学校のオモニたちに話してあげているという。 そして、オモニ会や地域の同胞女性団体の役員を引き受け、先頭に立って活動している。街頭に立ち、朝鮮学校を「無償化」の対象に含めるよう訴えたオモニもいる。 在日同胞が朝鮮人であることを誇りに思い、日本社会で堂々と生きていくために欠かせない民族教育、祖国と民族について教えてくれる朝鮮学校―それを守りたいというのがオモニたちの思いだ。 オモニたちは、一部の政治家たちが朝鮮や総聯との関係を持ちだして「朝鮮学校外し」を主張していることについてこう指摘する。 「これは保護者たちを動揺させ同胞社会を分裂させようという策動だ。そして、同胞と日本市民との関係に亀裂を生じさせようという狙いがある。罠にはまって民族教育と朝鮮学校の本来の姿を曲げないよう、大事なものを守り抜かなければならない」 覚醒したオモニたちの信念は揺るぎない。(李泰鎬記者) [朝鮮新報 2010.3.31] |