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〈民族教育を守る「差別を許さない」−@〉 変わった潮目

草の根パワーの波動

日本外国特派員協会の会見で「無償化」除外の不当性を訴えた朝鮮学校の関係者、保護者たち

 「朝鮮人として学び生きたいと願う子どもたちの権利を誰も奪うことはできない。ああしろ、こうしろと強制する権限もない」−「高校無償化法案」の国会審議が始まった2月25日、衆議院議員会館で記者会見が行われた。朝鮮学校の関係者、保護者らが民族教育の意義と現状を訴えた。

 過去数年間、狂乱的な「反北朝鮮」キャンペーンが官民あげて展開され、在日朝鮮人に対する弾圧が続いてきた。

 朝鮮学校だけを「無償化」の対象から外そうとする拉致問題担当相の言動が報道を通じて明らかになったのが会見の4日前だ。

 オモニたちがすぐさま発信をはじめた。

 議員会館での会見に参加する前、東京中高保護者の朴史鈴さんは「無償化」除外のニュースを聞き、高校生の息子と話したという。朴さんの世代はチマ・チョゴリを着て朝鮮学校に通ったのに、息子の同級生たちは民族衣装を着て電車やバスに乗ることができない。日本社会に排外主義が広がり、「拉致」以降は「朝鮮人」であること自体を否定するような雰囲気が強くなってきた。それでも民族学校に通う子どもたちは心を萎縮させることなく生きてきた。

 「どうして朝鮮学校が名指しされるのか。外国人学校は他にもあるのに、これって差別だよね」−朴さんは反骨の気概にあふれる息子の語り口をそのまま伝えた。同席した東京朝鮮中高級学校の慎吉雄校長も、「無償化」適用を求めて報道機関への投書や街頭での署名活動をはじめた生徒たちの心情を代弁した。会見場では記者たちが熱心にペンを走らせ、テレビカメラをまわした。

学校での交流

 子どもは、まわりの大人たちの姿を見て育つ。朝鮮学校の生徒たちもそうだ。在日同胞1世が築いた民族教育の歴史をオモニたちは会見場で堂々と語った。彼女たちには、数々の実体験に裏打ちされた自信がにじみでていた。

 国からの助成を受けていない朝鮮学校は、財政面で苦しい運営をよぎなくされている。会見で発言した孔連順さんも「オモニ会」の活動を通じて精一杯のサポートをしてきた。学校でバザーを開き、手作りキムチの販売も行った。その中で同じ地域に住む日本の友人たちとも知り合った。ときに、テレビや新聞が伝える偏見に満ちたイメージが、人々がふれあう場において払拭されることがある−孔さんは、メデイア側の人間と向かい合う機会に、生活現場の声を伝えた。

 どんな状況でも朝鮮人と日本市民がお互いを理解し合うことは可能だ。そう信じて草の根活動に地道に取り組んできた。3日、日本外国特派員協会に設けられた記者会見場にもオモニの姿があった。

 「朝鮮学校は同胞たちが力を合わせ運営してきた。でもそれは日本の良心によって支えられてきたものだと思っている」−嚴広子さんは朝鮮人の立場から「共生」の理念を語り、政治家が主張する「無償化」除外の論理に異議を唱えた。

 いまでは朝鮮学校の生徒たちも民間交流の担い手だ。朴さんの息子も高校の文化祭で日本の女子高生とバンドセッションを組み、共に朝鮮語の歌をうたった。保護者や関係者の努力により、朝鮮学校の実像が多くの人々に知られるようになった。

 教育課程も確かな評価を得ている。ほとんどすべての国立大、私立大が朝高卒業生の入学資格をすでに認めている。

世論をつくる

 衆議院議員会館で最初の会見が行われた日、鳩山首相は拉致問題担当相の主張に同調し「朝鮮学校でどういうことを教えているのか、見えない」と語った。日本の大多数の大学が示した判断などを度外視した発言だ。政府関係者の言動からは、はじめから朝鮮学校を排除しようとしていた様子がうかがえる。さらには教育内容にまで差別的介入をしようとする意図も垣間見えた。

 朝鮮への敵対感情を煽れば、どんな不条理も正当化できると考えているようだ。「学校」を中心とするネットワークが沈黙したならば、不当な差別を追認する情況が生まれたかもしれない。

 まずは同胞が声をあげた。日本のメディアがそれを伝えた。数週の間に法曹界をはじめ各界に反対論が広がった。新聞が「無償化」適用を求める社説を掲載し、国会議員が動いた。

 日本に住み朝鮮人として生きる選択をした生活者のまっとうな意見が、政治の身勝手な論理を崩している。問題の潮目が変わったのだ。

 外国特派員協会の会見でもこんな場面があった。

 ある記者がわざと挑発的な質問をした。「拉致」「核」と絡めて朝鮮学校の教育を誹謗したのだ。

 学校関係者はすかさず「わたしたちは、未来を生きる子どもたちのためにきた。敵対感情におもねる無責任な発言はやめていただきたい」と壇上から一喝した。取材席にいた各国記者からは大きな拍手が沸き起こった。(金志永記者)

[朝鮮新報 2010.3.26]