「高校無償化」 朝鮮学校オモニ会京都府連絡会 金秀子さんの訴え |
「除外」反対! 子どものために闘おう!
「高校無償化」問題で朝鮮学校を除外しようとする動きに対し、各地ウリハッキョのオモニたちが反発の声を強めている。京都では、「無償化」問題が表面化したその日から、要請のメールを送る運動を即時展開した。 1日には緊急会議(市内4校のオモニ会会長ら)を開き、夜遅くまで討議した。さらに4日、京都の繁華街四条河原町で、当初予定していた20人を超す40人のオモニたちが雨のなか集まり、ビラ800枚を配布した。 日本市民4人も応援に駆けつけ、大声で「差別をするな」と訴えた。この模様は京都新聞夕刊、朝日新聞5日朝刊に取り上げられ、当日17時30分からKBS京都で放映された。5日には緊急集会を開催した。金秀子・オモニ会京都府連絡会会長の訴えは参加者らの胸を打った。内容は次のとおり。(女性同盟京都府本部) 今から13年前、末娘が3歳のとき、山形県米沢で暮らしていた私たち家族は、京都に帰ってくることになった。 私は1男3女の母。米沢にいたときは、子どもたちを仕方なく日本の学校に通わせていたが、京都に帰ってくると迷わず朝鮮学校に入れた。 想像はしていたものの、実際に朝鮮学校に入れてみると4人の学費は生活を圧迫し、編入生の子どもたちは勉強についていくのに苦労しているようだった。 なぜ、わざわざ苦労するかと聞く人もいたが、私は子どもたちを朝鮮人として育てたかった。 山形にいるとき、子どもたちに単語カードや掲示物、「가갸(カギャ)表」を作って自宅で教えてみたが、思い通りにならなかった。それが朝鮮学校に通うようになると、先生と友だちの助けもあって、徐々に追いつくようになった。
私が最も驚いたのは当時保育班に通っていた末娘が、幼稚班に通い始めて1カ月もならないある日、夕食時に「ホウレンソウを食べると力が出ます」と朝鮮語で言ったときだ。みな、目を丸くして驚いたのを今でも思い出す。 私はそのとき、民族教育がどれほど大切か、朝鮮人として育てるなら、朝鮮学校しかないと実感した。 私はそのときからオモニ会に加わり、先輩オモニたちに学んで、朝鮮学校と子どもたちのために力を尽くしてきた。 昨年からは中高オモニ会会長、オモニ会京都府連絡会会長という重責を担っている。難しい手術を乗り越えての活動に、夫は私の体を心配して今でも役員になることを反対している。しかし、私は朝鮮学校で学ぶ子どもたちを守りたいとの思いに突き動かされ、活動を続けている。 「無償化」から朝鮮学校を外そうとする動きを許すことができない。 私たちは税金を納めている。在日同胞がなぜ、日本で暮らすことになったか。それは日本の植民地政策のためではないか。 鳩山政権が、高校「無償化」の対象に朝鮮学校も含むとの話を聞いたときは本当にうれしかった。しかし、一方で朝鮮学校除外の声があがり、心配した。 朝鮮学校の除外は、私たちに対する弾圧である。これまで、朝鮮学校を守るため同胞たちがどれほど血と汗を流したか。私自身これまで多くの要請活動をしてきた。しかし、差別は続き、情勢は一向に良くならない。良心的な日本の人々もいるが、差別を「当然」のように言う人もいる。 私はオモニとして、子どもたちの未来のために闘うだろう。子どもたちは、たとえ施設が不十分でも、一生懸命学び、多くの成果をあげている。子どもたちの活躍は、オモニたちを喜ばせてくれている。 子どもたちの明るい未来のために力を合わせて闘おう。私もその先頭で力の限り闘い続けるから−。(オモニ会京都府連絡会会長) [朝鮮新報 2010.3.12] |