「高校無償化」 除外はおかしい 日本の識者の声 差別と打算と支配欲 |
誰もがわかりきっているはずなのだ。朝鮮学校の生徒たちと拉致問題とはこれっぽっちの関係もなく、ということは高校無償化の対象とすべきか否かうんぬんの設問など、初めから成立する道理がないのである。 にもかかわらず、中井洽・国家公安委員長は「朝鮮学校を適用除外に」と言い出し、鳩山由紀夫首相がこれに同調した。尻馬に乗って「北朝鮮は暴力団と同じ不法な団体で、(学校との)関連性を認定しなければならない。府のお金が欲しいなら、府民が納得する振る舞いを」と述べたのは橋下徹・大阪府知事。 なぜか? あからさまな差別意識は否定のしようもない。深刻化の一途をたどり続ける閉塞状況にあっては、朝鮮学校の排除がむしろ有権者の多数派に歓迎され、政権への支持を高める効果をもたらすだろうとの計算さえ働いているように思われる。 人間をあまり舐めるなと言いたいが、彼らの思惑は現実に、愚劣な合理性≠ノ貫かれてしまってもいる点が問題だ。拉致問題など、口実でしかない。 今日に至る格差や貧困、戦時体制を導いた小泉純一郎元首相にしろ石原慎太郎・東京都知事にしろ、その人気の源は、大衆の鬱屈を社会的弱者に向けて発散させる差別的言辞の頻用だった。橋下府知事もまた、この系譜に連なる典型的な人物ではなかったか。 権力者たちは同時に、自らの全能を確認したがっている。ボキャ貧(ボキャブラリーの貧困)もここに極まったかの感がある「北朝鮮は暴力団」なる物言いも、実際にはまるで異なる次元の問題なのだから、「相手が何ものだろうと、行動以前の、とくに思想のよしあしは俺が判断する。暴力団と同じだと思ったら差別してやるぞ、俺にはそうする権限があるんだ、そのつもりでいろよ」というメッセージとして、少なくとも私は受け取った。 所詮は建前、政権奪取のためのキャッチコピーだったにせよ、「友愛」を謳った鳩山首相の醜態には、あらためて付け加える批判の言葉も見当たらない。 くだらなすぎる時代。まともに反論すること自体がむなしいが、だからといって放置しておけば、事態はますます悪化していく。 今回は幸い、必ずしも彼らの思惑通りには運んでいないと聞いた。日本社会も多少は進歩しつつあるのかもしれない。 差別と打算と支配欲に凝り固まった人々の妄言を、何としても撤回させよう。(斎藤貴男 ジャーナリスト) [朝鮮新報 2010.3.12] |