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失語症の闘病談 尹成龍さん、体験者の声を胸に刻む

朝大・福祉コースの学生たちと

 朝鮮大学校短期学部福祉コースの学生たちが、「同胞福祉問題に関する特別講義」として昨年12月19日、東京・江戸川区の同胞生活相談総合センターを訪れ、同区在住の尹成龍さん(56)の経験談を聞いた。

 尹さんは03年10月、脳内出血により右半身がマヒし、言語障害も残り失語症になった。発病から6年が経った現在では、歩行や発言も可能になり、昨年は7回にわたり本紙「健康・家庭」欄に「脳内出血による失語症者の闘病記」を連載した。

「同胞の力になってほしい」と語る尹さん(左)

 朝大からの参加者は、金暎華(東京)・゙玉蘭(長野)・邊理華(大阪)・黄秀月(東京)さんの4人。福祉コースでは下半期に病院や介護施設などを訪ね、12回の「特別講義」を行っている。

 尹さんはまず、朝大政経学部(18期)を卒業し発病するまで総聯の活動家として働いたと自己紹介し、現在に至る体験を語った。

 発病したのは50歳のとき。友人とゴルフを楽しむ最中、右手の反応が鈍くなり、おかしいと思ったらそのまま意識を失った。救急車で病院に運ばれ、以後長い闘病生活が続く。努力の甲斐あって4年で歩行可能に。今でも外出時には杖が欠かせない。

 「歩くときは全身がしびれて痛い。脳内出血の人は体にしびれが出る。中には痛みが出る人もいる」

 次に、失語症を克服するための経験を語る中、尹さんは「見る」「読む」「書く」の3つのポイントを強調した。「これは74歳の新潟の患者さんが教えてくれた。私が知るかぎり彼は唯一失語症が完全に治った人だと思う。この3つの中でも、書くのが一番重要だ。彼は私に『左手で書きなさい』と言った。私は今までその教えを大事にしてきた」。

 そして尹さんは、言葉を取り戻すうえで重要なのは、「言葉に関するレベルアップ」をすることと、友だちと会うことと話した。

 「体が悪くて話もできないときは人に会えない。どこかへ行けても言葉が出てこないと話ができない」

 そこで尹さんは、自ら失語症の会に足を運び、積極的にしゃべることで言葉の訓練を重ねていった。

 昨年からは会話ができるようになったので同窓会にも顔を出すようになった。

 「言葉と記憶は連動していて昔のことを思い出すと言葉が出てくる。失語症の人は記憶も失っている。言葉が半分戻ると記憶も半分戻り、言葉が80%戻ると記憶も80%戻る」

 自身の言葉の回復度は現在70%くらいと言い、尹さんは学生たちに「これから失語者の介護に関わることになったら、優しく接しつつも個々の関係では厳しさを併せ持ってもらいたい」と話した。

 「患者を甘やかさないこと。私はここのセンターまで来るのに車なら10分のところを自力で1時間40分かけてやってきた。それでも患者が生きるためには一生懸命やる環境を作らないといけない」

 尹さんには今後の目標もある。

 ひとつは健常者になるため努力すること。できなくても最後まで頑張り続けること。もう一つは単身で朝鮮に帰国した2番目のヌナ(姉)に会うため自身が還暦を迎えたらウリナラに行ってヌナと会いたいというもの。

 邊理華さんは尹さんの話を聞いて、「これまでいろんな先生の講義を聞いたが、実際に発病して回復するまでの話を聞いたのは初めてだった。今後、いろんな人と出会うと思うが、社会に出たら今日学んだことを胸に刻んでしっかり働いていきたい」と感想を述べた。

 尹さんは朝大生たちに、「今後の活躍に期待している」と温かいエールを送った。(金潤順記者)

[朝鮮新報 2010.1.15]