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〈あの日、トンポたち 総連全盛期の記録〉 「万寿台芸術団」来日

1973年7月13日付の朝鮮新報

 1972年、「7.4南北共同声明」が発表され、統一の機運は高まった。しかし、朴正煕政権は10月に非常戒厳令を宣布。憲法改悪などを通じて維新独裁体制を強化し、翌73年8月には日本で「金大中事件」が起きた。北南関係は急激に悪化した。

 この年、日本政府と入管当局は、在日朝鮮人の活動を規制するための「出入国管理法案」の制定を急いだ。これに反対する朝・日連帯の運動が高まる反面、朝鮮学校生徒への暴行事件が相次いで発生した。

 こうしたなか初来日した朝鮮の国立平壌万寿台芸術団の公演は、日本市民の熱烈な歓迎を受けるとともに、在日同胞と子どもたちに夢と希望を与えるものだった。

 同芸術団は8〜9月にかけて東京、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、福岡で大小60回の公演を行った(主催=日本朝鮮文化交流協会、朝日新聞社)。30年に制作された不朽の古典的名作「花を売る乙女」を脚色した革命歌劇「花を売る乙女」と、朝鮮の時代精神や民族情緒があふれる「音楽舞踊総合公演」が上演された。

 来日前から内外の大きな注目を集めた。というのも、同芸術団は1969年の結成以降、朝鮮国内はもちろん、40カ国以上で公演を行い、一大センセーショナルを巻き起こした。初来日した年も英国、イタリア、中国での公演を成功させ、その評判は日本にも届いていた。

万寿台芸術団は朝鮮学校などを訪問し、同胞、生徒らと交流した(写真は四国初中)

 7月31日付朝鮮新報は、30日に到着した芸術団を歓迎する同胞、日本市民の様子を「活火山のような歓迎」と表現し、「在日朝鮮人運動の歴史と朝・日親善の歴史の新しいページ」が開かれたと伝えた。

 公演は連日、超満員の大盛況。観客動員数は延べ18万人を超えた。さまざまな新聞、雑誌で115回にわたり紹介され、NHKを含むテレビ19社で延べ60回放映され、番組にもゲスト出演した。

 当時、公演を観覧した日本を代表する文化人、評論家たちも高く評価した。

 「人民大衆が抱いている深い心情を明確にストレートに描き、誰でもわかる芸術的な形で描き上げている。芸術を人民大衆に理解され愛されるものにする朝鮮の芸術のあり方を示すものだ」(詩人の小野十三郎さん)、「人間性の根本と人間の尊厳を訴える朝鮮の芸術は、人民に奉仕する芸術の手本だ」(映画監督の木村壮十二さん)

 在日同胞舞踊家の任秋子さんは「私たちが『本物』に出会った忘れられない出来事」と当時を振り返る。現在活躍する同胞芸術家のなかには、これがきっかけとなり朝鮮舞踊や歌の道に進んだ人も多い。

 当時、総連では「朝鮮人発掘運動」、朝鮮建国25周年に向けた「100日間運動」が展開されていた。万寿台芸術団日本公演は、在日同胞が民族の誇り、朝鮮の海外公民としての栄誉を享受し、在日朝鮮人運動と朝・日友好運動の前に立ちはだかった大きな壁を打ち破る大きな契機となった。(泰)

[朝鮮新報 2010.12.8]