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道内歴史資料館設立へ 同胞史伝える常設館、北海道青商会中心に

 ことの始まりは、数人による食事の席だった。

 強制連行をはじめとした在日同胞の歴史を保存し伝えられる施設をつくることは可能だろうか。今年の春先、札幌市内の飲食店で交わされた小さな一言。

 「北海道同胞歴史資料館」設立の歩みは、こうして静かに始まった。北海道青商会による新たな試みだ。

1世の姿伝えたい

民族フォーラム当日、会場には集められた資料の一部がパネル展示された

 「韓国強制併合」から100年目を迎えた今、同胞社会の中心は2世から3世に移りつつある。強制連行・強制労働の実体験者である1世の多くがすでにこの世を去り、朝鮮学校に入学してくる子どもたちは4世、5世だ。

 1世を肌で感じた2世、3世と違い、多くの4世たちにとって植民地時代のことはすでに過去の「歴史」でしかない。

 北海道青商会の李東潤会長(40)も3世で、4世である子どもは北海道朝鮮初中高級学校に通う。「1世に始まり現在まで、同胞たちが道内でどう生きてきたのか。自分たちがなぜ今ここに存在しているのかを、朝鮮学校で学んでいる次世代に伝えていかなければ、やがて歴史は風化していくだろう」。同胞歴史資料館にはそんな青商会会員たちの思いが込められているという。

 北海道で9月5日に開催された「ウリ民族フォーラム」で、同胞歴史資料館設立は宣言された。

会場に展示されるパネルづくりを手伝う北海道初中高の高級部生徒たち(9月2日)

 3月に民族フォーラムの実行委員会が正式に発足。会員たちは道内同胞訪問をスタートさせた。訪問活動を通じて民族フォーラムへの協力を呼びかけると同時に、資料館の趣旨を説明し、各同胞家庭に眠る写真をはじめとした資料の提供を訴えた。

 実行委員たちすべてが、当初からこのプロジェクトの意義を深く認識していたわけではなかったという。北海道青商会の李紅培幹事長(38)は、実行委員たちの認識を徐々に変えていったのは、他でもなく次第に集まる資料そのものだったと話す。

 8月まで行われた同胞訪問を通じて提供された資料だけで2800点以上。総数にして約4100枚の写真、100冊以上の書籍や冊子、31点の映像資料が集まった。

 日々増えていく貴重な写真や資料。炭鉱やダム建設の強制労働の現場が写された写真の中に、顔見知りの1世を発見したりもした。身近な人たちの鼓動が聞こえてくるかのような生々しい資料に、会員たちは自分たちが取り組んでいるプロジェクトの意味を実感していったという。

 強制連行当時の様子が収められた写真をはじめ、解放後の同胞たちの権利擁護闘争を伝えるもの、また、駅舎を背景に新婚旅行を前にした夫婦とチマ・チョゴリ姿で見送る家族が映る写真など、集められた資料には同胞たちの「喜怒哀楽」が詰まっていた。

 「これらは同胞たちの共通の財産になる」。ある会員の言葉だ。

死の強制労働

同胞訪問活動を通じて、資料館設立の趣旨を説明するメンバーたち(「ウリ民族フォーラム2010in北海道」のDVDより。制作=株式会社NEWSTYLE

 北海道での強制労働は極寒の冬の自然条件も重なり、日本でもっとも死亡率が高かったと言われるほど過酷なものだった。

 北海道最大の炭田、石狩。「朝鮮人強制連行の記録」(朴慶植著)には、同所の三井、三菱炭鉱で、1945年6月現在、7千人以上の同胞が働かされていたと記されている。証言によると、三井美唄炭鉱で起きた1944年の爆発事故で100人以上の死亡者が出たが、「そのうち同胞が80人ばかりもあった」という。同書は1942年現在の朝鮮人炭鉱労働者平均死亡率0.9に対し、北海道では2.1となり、「戦争末期にはもっと高率になった」と指摘している。

 「消された朝鮮人強制連行の記録」(林えいだい著)には、北海道の炭鉱やクロム鉱山での父の体験を語る息子の証言がある。これによると、棒頭らに叩き殺される同胞を目の当たりにし、タコ部屋から脱走したものの捕まり、真冬に氷の張った風呂に入れられたまま、ムチでめった打ちにされるなどのリンチを受けたという。

 1945年の祖国解放を迎えた当時、北海道内に在住していた朝鮮人は登録されていただけでも12万人を数えた。しかしその翌年末の統計では1万人を下回っている。北海道に強制連行された同胞たちのほとんどが解放後、故郷に戻るか、他の地に移り住んだことが理由だが、そこには、「死の強制労働の地」から逃げ出したいという心理状況が働いていたのではないだろうか。

 同胞史を掘り起こす作業は、これまでにも行われてきた。近年でも、東京・台東同胞沿革史「テドン」(07年)や、女性同盟西東京「コッスレ」(09年)、長野朝鮮初中級学校創立40周年記念写真集(10年)など、地域や学校を基点に同胞たちの足跡を伝える沿革史は数多い。

 北海道青商会がいま取り組んでいる資料館づくりは、こうした同胞史を常設展示して、いつでも誰でも気軽に来て、学べるようにという意欲的な試みだ。

若い世代が

 「1世が元気だった頃にもっと具体的な話が聞ければ」と残念がる声があることも確かだが、なぜいま動き出せたのか。

 今期の北海道青商会常任幹事の中でもっとも若い許正煕さん(36)は、「本当にやろうと思うか思わないかの覚悟にある」と話した。民族フォーラム前にメンバーたちが行った総移動距離3万キロメートルを超えた同胞訪問もそうだったという。「今の青商会の先輩たちを見ていて感じることは、決心次第で何でもできるということ」。

 北海道青商会の初代会長を務めた朴昌玉さん(55)にとっても、資料館設立は待ち遠しいことだ。そして後輩たちの姿に、15年前に日本各地に先駆けて、もっとも早く地方青商会を立ち上げた当時を思い出すという。「エネルギーが必要なことだからこそ、若い世代にしかできないのかもしれない」。

 李東潤会長も同じ意見だ。「祖国解放後、日本各地に朝鮮学校を建てたのも、30、40代の若い世代だった。行動力が一番あるこの世代だからこそ、自分たちが担うべきだと思う。そして、小さな一つひとつを積み重ねていくこの取り組みは、日本各地の同胞社会のモデルケースになりえる」。

 9月21日、歴史資料館設立のための事務局会議が開かれた。会議では資料館をNPO法人化し運営してくことが報告された。朝鮮学校に通う子どもたちと日本人を対象にした、「社会教育の場にしたい」というのが、事務局の一致した意見だ。

 11月19日に予定されている北海道青商会第12回総会を機に、事務局も新たに編成し、NPO法人化するための具体的な措置も講じていくという。今後は、北海道青商会の部会として運営されていく予定だ。(鄭茂憲)

[朝鮮新報 2010.11.10]