〈あの日、トンポたち 総連全盛期の記録〉 各種学校認可を求め |
1965年12月28日、日本政府は各都道府県の教育委員会と知事にあてて文部事務次官通達を出した。「朝鮮人のみを収容する教育施設の取り扱いについて」−その内容は、「朝鮮人学校は、わが国の社会にとって各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められない」とし、朝鮮学校を否定するとともに「同化教育」を制度化しようというものだった。 総連中央は翌日の29日に声明を発表し、民族教育に対する弾圧の中止を強く訴えた。朝鮮新報は30日に号外を発行し、この声明文を掲載した。 声明を皮切りに各地の同胞たちによる抗議活動が展開される。年が明けた1月17日、総連中央の外務部長が竹下登・内閣官房副長官に民族教育の権利を保障するよう要請、同22日には総連中央の盧炳禹副議長をはじめとした代表らが文部省を訪れ、福田繁・文部次官に抗議活動を行った。この時提出された要請文には、民族教育の権利を保障すること、各種学校認可と準学校法人認可を出すことなどが記されていた。 朝鮮新報同年3月16日付には、こうある。「さる2月から3月上旬までに、北海道をはじめ15の都道府県の総連機関と教育会、教職同団体らが継続的に日本文部省に対する要請に参加し(中略)民族教育に対する不当な策動を即時中止し民族教育の権利を保障するよう強く要請した」。
また4月12日付の報道によると、埼玉県下の同胞たちが県内の主要国鉄駅前などでビラ配りを行い、その数が一日で10万枚に達したという。
文部事務次官通達以前から、日本各地の朝鮮学校は、各種学校の認可権を持つ各都道府県知事から、その認可を受け法的基盤を確立しつつあった。日本当局は1967年3月からは各種学校認可を形骸化するための「外国人学校法案」を国会に上程する。その後7度にわたって提出された同法案は、同胞たちと良識ある日本人たちの闘いによって、すべてが廃案に追い込まれた。 1965年に東京朝鮮中高級学校高級部に入学した同校の慎吉雄校長(61)は「もしあの時に朝鮮学校の存在が否定されていれば、今の朝鮮学校はない。生徒だった当時の私は、その意味を今ほどに考えてはいなかったものの、植民地支配を経験した1世たちは、朝鮮学校を守ることの大切さを経験をもって知っていた。そのエネルギーはものすごいものだった」と振り返る。 その後、1968年に朝鮮大学校が各種学校として認可され、75年までにすべての朝鮮学校が認可を得るに至った。 あれから40年以上の歳月が流れたが、在日朝鮮人の民族教育に対する日本政府の差別的態度は変わらない。今年4月、日本政府は「高校無償化」制度適用の対象から朝鮮学校を除外した。各地の同胞、朝鮮学校生徒と関係者、多くの日本市民が朝鮮学校の存在を否定する政府に対する抗議活動を展開。「無償化」適用を求める署名は、58万筆を超えた。(茂) [朝鮮新報 2010.10.6] |