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「愛知学生の会」 金沢でスタディーツアー

朝・日関係史をたどる

米軍内灘試射場跡を見学する一行

 「日朝友好愛知学生の会」主催の「金沢スタディーツアー」が5月15〜16日に行われ、学生と日本市民ら約20人が参加した。ツアーは、「韓国併合」100年となる節目の年に金沢に残る朝鮮半島と日本の関係を示す史跡をたどり、その関係史を学ぶ目的で行われたもので、北陸大学の田村光彰教授が案内を務めた。

 一行は初日、朝鮮戦争時、砲弾の性能を確認するために設置された米軍内灘試射場跡を見学した。当時、基地の建設を巡り地元住民が大規模な反対闘争を繰り広げた「内灘闘争」には、米軍の朝鮮侵略に反対する在日朝鮮人が合流したという記録が残っている。

 続いて一行は、石川護国神社内にある「大東亜聖戦大碑」を見学した。この碑は2000年8月、アジアを侵略したかつての戦争を「聖戦」であったと「顕彰」するもので、「有志」らによって建立されたもの。裏面の文にはアジア侵略の事実を否定、美化する内容で一貫している。

 兼六園を見て回った後、総連石川県本部で田村教授の講演と懇親会が行われ、初日目の日程を終えた。

ツアーには約20人が参加した

 2日目は、1932年4月29日に日本軍の上海占領と天皇誕生日を祝う祝賀会で爆弾を投じ、金沢で処刑された尹奉吉義士を追悼する碑を訪れた。

 田村教授は、「日本では、尹奉吉は安重根同様『テロリスト』と言われているが決してそうではない。彼の義挙がアジアに多くの希望を与えたのは事実だ」と述べながら、南からの観光客も多く訪れるようになった碑を建立し守ってきた故朴仁祚さんの功績は大きいと話した。

 次に一行は、額谷軍需工場跡を見学した。

 同工場は江戸時代からの石切り場で、第2次世界大戦終結間際に三菱重工業の航空機エンジン部門の疎開先として軍需工場に改造されたもので、工事には多くの朝鮮人と学徒が動員された。工場跡は深い山中にあり、規模も大きなことから過酷な労働を強いられたことが想像できるが、稼動することなく「終戦」を迎えた。

 一行は最後に、兼六園の近くにある玉泉園を見学した。

 参加者たちは、スタディーツアーを通じて、いかに日本と朝鮮半島が深い関係を持っているかを再確認することができたと述べながら、これからの関係を考えていくうえで示唆に富んだ貴重なものだったと口をそろえた。【留学同東海】

[朝鮮新報 2010.6.14]