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朝鮮学校に送る楽しみ

 朝鮮学校に子どもを送るあるアボジがこんなことを言っていた。

 「朝鮮学校に子どもを送るようになって友人が増えた。大人になってこれほど多くの友人ができるとは思ってもみなかったのでうれしい。学校のイベントでみんなに会えるのがいつも楽しみだ」

 そのアボジによると、「ともだち」という表現では幼い感じがし、「知り合い」という表現ではそっけない感じがする。「親友」と呼ぶにはまだ付き合いが浅いので失礼だ。だから「友人」なのだという。

 それでも会うのが楽しみでならないというから、「友人」と呼ばれる人たちはいったいどんな人なのだろうか。

 確かに、年を重ねるごとに新しい友を得るのは難しくなっていく気がする。だが、そのアボジは自信をもって友人と呼んでいる。子どもたちが学校で共に学び、遊び、けんかする過程で友だちを作るように、親たちも朝鮮学校で出会い、子どもたちのため、学校のため、共に汗を流す過程で友を得ているという。

 親交が深まれば親友と呼び合えるようになるかもしれない。まさに、そうした親友を得る過程の真っ只中にいることが「楽しくてたまらない」のだという。

 日本学校を卒業し、同胞の友人がほとんどいなかった。その反動もあって、保護者として学校で出会った同胞たちの人間味、愛情、義理人情の虜になった。

 「子どもを朝鮮学校に送って良かった。朝鮮学校は私を青春時代に連れ戻し、生きがいを与えてくれた。何より、学校で得た友人たちが人生観を変えさえてくれた。こんな学校、ほかにはない」(泰)

[朝鮮新報 2010.6.7]