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祖母の思い

 6.15北南共同宣言の発表からもうすぐ10年が経とうとしている。10年前の6月を振り返るたび、その年の4月、息子2人が暮らす祖国に帰国した祖母のことを思い出す。

 あの日、平壌を包んだ歓喜の渦。市内の沿道を埋め尽くす人の波を職場のテレビで見ながら、映るはずがないと思いつつも画面の向こうに祖母の姿を探した。

 朝鮮に関するニュースが流れるたび家事の手を止めてテレビを食い入るように見つめていた姿が印象に残っている。彼女もほかの多くの在日1世と同じく、過酷な運命に耐え、統一への希望を胸に総連と祖国に一生を捧げた人だった。

 帰国から2カ月後の6.15。どのように感じたのか、会って聞きたいと思った。しかし、その機会は訪れないまま、祖母は年が明けてすぐ、自宅で眠るように息を引き取った。

 その後、取材で日本と朝鮮を行き来するようになってからは、折に触れて平壌郊外にある祖母の墓を訪れる。墓前に立つたび、東京駅で最後に見送った彼女の顔が眼前に浮かぶ。

 最近、宣言発表10周年に関する記事を書く機会が多い。統一への新時代を開いた歴史的宣言、高まる統一への期待−。使い回されたフレーズをキーボードで打ち込む手をふと止め、考える。

 統一の日を迎えることなく亡くなった多くのハラボジ、ハルモニたちのこと。彼らが経てきた想像を絶するような艱難辛苦を。そして、6.15共同宣言にはそのような幾多の人びとの思いが込められていることを。(相)

[朝鮮新報 2010.4.5]