食事 |
「何もしてあげられないけど、食事だけはしていきなさい」 どこに行っても活動家や同胞は記者たちを気遣ってくれる。食事の席で取材と関連した話や人生訓などを聞くこともあり、メモが増えることもある。 先日、ある朝鮮学校を取材したのだが、ここでも「必ず食堂で食事をしていくように」と校長が声をかけてくれた。この日は教育会の副会長(専従)が作ったコロッケと鶏肉の揚げ物がメイン。当然、キムチも並んだ。 食堂では、寄宿舎で生活する教員と生徒が一緒に食事をとっていた。食事を終えた男性教員2人が「当番制なんですよ」と笑いながら慣れた手つきで食器を洗いはじめた。本職以外の仕事が多いのはどこも同じだが、楽天的で明るい笑顔が印象的だった。 生徒数の減少などの諸事情で経営が厳しい同校。そんな中でも、中級部の担任を受け持つ校長は年に数回、若い教員を食事に誘い、日々の努力を労うことを大切にしている。「校長と一緒に、これからもがんばって教壇に立ち続けたい」と若い教員たちは口をそろえる。洗い場でのあの笑顔も、そうした気持ちの表れなのかとふと思った。 食事をしながらの交渉や話し合いは、時として劇的に局面を変えることがある。一緒に食事をすることによって、ある種のコンセンサスが形成されていくのかもしれない。 自然と胸襟を開くことができるという意味でも、食卓を共に囲むということは大切だと思った。(東) [朝鮮新報 2010.3.8] |