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結婚式

 結婚式はアルバイトで何百と見てきたが、日本学校出身の私も留学同(在日本朝鮮留学生同盟)と出会い、同胞の結婚式に呼ばれるようになった。同胞の結婚式は一味違い、新鮮で驚くことがたくさんあった。まず、招待客の多さ。朝鮮語の混ざった司会、チマ・チョゴリ、朝鮮の歌…。民族的な結婚式はとても新鮮で心地良く、憧れるようになった。

 結婚式に招待されるのはうれしく楽しみだ。しかし、これまで何度か複雑な思いを抱いたことがある。それは、結婚する同胞から、民族名や民族衣装を控えるよう頼まれたときだ。「結婚相手が日本人だし、相手は受け入れてくれていても、披露宴では隠したほうがいい。友人も日本名の方が…」とオモニに言われたというのだ。結局民族名で参加できたが、相手方に頼まれたわけでもなく、自ら隠そうとする2世のオモニに、在日の受難の歴史を感じずにはいられなかった。オモニがその選択をするようになるまでに、いったいどのような体験があったのだろうか…。

 日本の友人の結婚式でもチマ・チョゴリは遠慮してと頼まれたことがある。目立つし、気にする親せきがいる、みなに楽しんでもらいたいから、と。朝鮮人の私がいることで楽しめなくなる人がいるのか。被差別者の烙印を押された気がした。

 「私のときはチョゴリで来てね」と言ってくれる友人たちに慰められた。朝鮮人が朝鮮人らしく生きられる社会を…と心底思う。次の日曜日は学生時代ともに活動した同胞の結婚式。「普通に」チマ・チョゴリに身を包み、参加するつもりだ。(徐麻弥、福岡県在住、団体職員)

[朝鮮新報 2009.7.24]