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多様性を認めること

 在日朝鮮人問題、DVや性暴力などの女性問題、障がい者の問題と関わるなかで、これらの問題には共通していることがあると気づいた。DVや性暴力の問題を認識するのに、在日朝鮮人の置かれている状況などと置き換えて考えると理解しやすかったからだ。差別が表面的に見えづらくなっているということ、差別されている当事者が差別されていることに慣れすぎて気づかないでいるところなどは、非常に社会的で構造的な問題として似ていると思う。

 表向きには「差別が存在する」「差別用語は使用してはならない」などと、人々が差別について認識するようになっても、民族差別や女性差別は社会的には根深く、温存されてきた。

 相手を「馬鹿にする」「自分より下だと見下す」感情は、どこかで差別的な発言や行動につながっていくと思う。

 いじめ、虐待、DV、人種・民族差別などは形態が違うだけで、このように他者に対する憎悪、悪感情から暴力的で破壊的な行為にまでエスカレートする。自分とは異なるものを受け入れられず、排他的な意識がその根底にあるからだ。

 ただたんに、禁止されている行為をしない、禁止用語を使わないという問題ではないと思う。まずは、自分自身を素晴らしく、かけがいのない存在だと思うこと。そして相手もそうだと心の底から思いたい。自分とは違う価値観をもつ多様な人間が存在することを、自分が変わることを恐れず受け入れたい。今まで自分は被差別者だと思っていたが、私自身も差別をする側になっている可能性があると思えるようになった。(姜潤華、団体職員)

[朝鮮新報 2009.6.12]