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同じ人間として

 「スゴヘヨ」「付き添い?」「トンムえらいわね〜」…。ある友人と金剛山歌劇団の公演を観に行ったとき、同胞たちからかけられた言葉に私たちは違和感を覚えた。彼は幼少のころ目が見えなくなって、それから長い間盲人である。数年前に同胞障がい者の音楽サークルで出会い、気の置けない友人の一人となった。

 私に声をかけてくれた人たちは、アフターファイブにも障がい者の付き添いをする奇特な人だと思ったのだろうか。

 しかし、私は「何もえらいことはしていない」と思ったし、彼は「障がい者に健常者の友だちは存在しないのか?」と思ったという。

 私たちの周囲には依然として、障がい者は「常に支援を施さなければならない、かわいそうな人」で、障がい者と一緒にいる家族以外の人は必ず「支援者」であるというように誤解したり、偏見を持っている人がいると思う。

 もちろん彼は目が見えないので、見えるものを伝えたりはするが、それ以外においては彼に教わることの方が多い。

 考えてみれば、私自身を振り返っても、身体の不自由な人はいつも周りにいた。

 今日、交通事故に遭うかもしれないし、病気にかかるかもしれない。自分には関係ないと思っているかもしれないが誰だって「障がい者」になりうる。

 障がい者の定義はよくわからないが、体が不自由な部分においてはもちろん支え合えば良いだけだ。みんな同じ人間なのである。支え合うことは手間暇かかるが、みんなでゆっくり生きていければ良いなと思う。(姜潤華、団体職員)

[朝鮮新報 2009.5.9]