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現場で感じる−固定観念を崩し、素直に見る

 「固定観念」というのは恐ろしい。人々の意識をゆがめ、物事を判断する目を曇らすからである。

 先日、日本の大学生たちが神奈川県川崎市にあるウリハッキョとNPO法人「アリランの家」を訪れ、子どもたちやハルモニたちと交流した。聞けば、小、中、高、大にいたる学生時代に在日の同胞学生と出会ったことがなかったと言う。東京、横浜、京都という都会で学生時代を過ごしながら、在日の友人が一人もいなかった、とほとんどの学生が口にした。

 「学校の門をくぐるまでは、日本のメディアが流す北のイメージの影響もあり、朝鮮学校についても緊張感をもって受け止めていた」「まさか、こんなに子どもたちがのびのび、元気よく授業を受けて、学校全体が楽しいとは」と、授業参観の感想を笑顔で語る学生たち。

 ほんの2時間ちょっとの交流で、ガラッと朝鮮学校へのイメージを変えた素直さにも、好感が持てた。もともと彼らにはこびり付いたような偏見や優越意識があるわけではないのだ。いま、この時期に直接朝鮮学校を訪れ、学生たちに民族教育を正しく理解させたいと願う優れた教育者や大人の存在が大きいのではないだろうか。

 日本で盛んに流布される「多民族共生」という言葉。いまでは日本政府や自治体の流行語のようにもなっている。

 言葉の中身こそ、問われるべきだろう。その根幹に、朝鮮民族を蔑視、排除し、在日同胞を迫害して恥じない醜悪な思想が温存されていないかと。「自分と自分たちだけのことしか考えなくなったとき、人間は自ら敗北するのだ」(サラ・ロイ「ホロコーストとともに生きる」より)。(粉)

[朝鮮新報 2009.2.27]