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チェ・ゲバラ−犠牲強いる元凶を追及

 年の初めに映画「チェ・ゲバラ」を東京・新宿の映画館で観た。「蟹工船」の小林多喜二ブームの延長だろうか、大変な人出であった。

 いま、世界的な経済不況にあって、日本では真っ先に派遣労働者が首切りにあい、その日の暮らしもままならないほどの苦境に喘いでいる。正月の昼間、上野公園を歩いてみたが、多くの人たちが炊き出しの列に加わっていた。年老いて、ボロボロの衣服を身にまとっている人、今にも倒れそうな健康を害した女性…。厳寒のなか、虚ろな目をして立ち尽くす人たちの痛々しい姿が脳裏を離れない。

 多国籍企業の経営者や株主が史上空前の利益を謳歌している一方で、空洞化した日本国内の雇用状況は壊滅的だ。構造改革の美名の下で進められる階層間格差の拡大は凄まじい。しかし、「痛みを一方的に押し付けられた人々は、その元凶が何物であるかを、未だに理解できていない」(斎藤貴男著「ルポ改憲潮流」)から問題はもっと深刻であろう。そして、政治やメディアによって、その元凶の正体は隠ぺいされて、多様性や寛容さが失われ、異端と見なされた存在に対する牙ばかりを尖らせていく。

 そんな風潮のなかで、人間の根源的な自由と解放を求めたゲバラの生涯にスポットが当てられた意義は大きい。新自由主義の下、労働者を徹底的に搾取し、破滅に追いやる今の経済界への強い警鐘となっている。

 映画ではゲバラが闘いに立ち上がった仲間に読み書きを教え、負傷した同志を親身になって治療し、住民から厚い信頼を得ていく場面がある。私たちの運動の原点にも通じる、感動的なシーンに心を揺さぶられる。(粉)

[朝鮮新報 2009.1.16]