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〈編集後記〉 「アスリートのオーラ」

9月に行われた東京体協結成55周年を記念するパーティー

 今年度もあっという間に前半期が終了した。

 ふと、テレビをつけると新潟国体が行われていた。たしか、ボクシング競技に朝大生が参加していたはずだ。実力さえあれば、国体にも参加できるようになった。

 9月中旬、東京体協結成55周年記念パーティーに参加した。往年の大先輩方、話でしか聞いたことのなかった伝説的な先輩も集まり、その場はまさに、東京体育人の集会となった。

 パーティー会場で、セブン・サミット成功者で在日同胞登山家であるT氏(同級生)としばし話した。寡黙で控えめな彼と話し、久しぶりにアスリートのオーラを感じた。

 集まっている先輩たちにも共通するオーラ。彼らが口々に「私たちの時代はT高校がお願いしに来たから試合をしていた」「あのときに選手権やインターハイに参加できたなら、間違いなく優勝していた」など、現在のような「全国大会」への門戸が開かれる前の昔話で盛り上がっていた。

 上記のバスケフェスティバルに参加した先輩のなかにも伝説的なプレーヤーがいた。

 決して止められないスピードやパワーではないが、対戦相手は「往年の名プレーヤー」のドリブル、シュートに手を出せずにいた。オーラが出ていたのだろう。

 サッカー朝鮮代表の安英学、鄭大世選手とも会ったことがあるが、彼らにも言葉では言い表せない「感(オーラ)」があった。

 己の弱点を見出し、それを克服し、周囲の期待と希望のために常に戦い続けるアスリートたち。とりわけ、「在日アスリート」においては、同胞のために、そして自分のために切磋琢磨していく。ライバルは過去の自分であろう。

 道は開けている。問題は、その門を潜り抜けていける実力者を育成することだ。

 実力とはなにか。また、その実力をつけるためには、どうすればよいのか。全ての指導者が頭を悩ませている。

 勝てないのは監督が悪い。だから、「褒める、教える、鍛える」を繰り返していく。その過程で「何が大切なのか」を気づかせ、「一流の人間」に育っていくよう指導するのである。

 現に、年齢を問わず、学生大会でもすでにオーラのある選手たちは多々存在する。プレーヤーであると同時に、立派な人間性を持ったアスリートの魅力は計りしれない。

 バスケ界のみならず、在日の選手の中で、ひとりでも多くのアスリートの出現を願いたい。

 最後に、野村克也氏の著書「あぁ監督」より引用する。

 「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」【コリアンバスケットボールネット編集部】

[朝鮮新報 2009.10.14]