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第31回コマチュック大会 11人制 勝負決めた芸術的なFK

 第31回在日朝鮮初級学校学生中央サッカー大会(コマチュック大会、主催=在日本朝鮮人蹴球協会、主管=在日本朝鮮人兵庫県蹴球協会)が4〜6日、兵庫県立淡路佐野綜合運動公園で行われた。そろいのTシャツなどに身を包んだ各校の学父母らが多数訪れ、真夏の炎天下で熱い声援を送る中、29チーム参加の11人制では東大阪、28チーム参加の8人制では大阪福島がそれぞれ優勝した。大会開会式に総連兵庫県本部の盧武鉉委員長、閉会式には総連中央の梁玉出教育局長、在日本朝鮮人蹴球協会の文章弘会長らが参加した。

優勝直後、主将を胴上げする東大阪初級の選手たち

 11人制決勝は、近畿予選3位の東大阪と関東予選1位の埼玉による東西対決となった。

 東大阪は、初日の予選リーグで横浜、神戸を4−0、6−0と圧倒した。1位で臨んだ2日目順位別リーグでは東京第1に1−1、東京第9に1−0とし、3日目の準決勝では大阪第4を3−0で下した。

 一方の埼玉は、予選リーグで京都第3・滋賀合同チームを12−0、中大阪を2−0で下し、順位別リーグでは西神戸に1−1、大阪第4に4−0、準決勝では尼崎を2−1で破り決勝進出を果たした。

 カウンターが武器の埼玉、パスワークを得意とする東大阪。それぞれ互いの特徴を発揮し合うハイレベルな試合となった。

 埼玉は試合序盤、早めのプレスからカウンター攻撃を中心に崩していき、一方の東大阪は中盤でしっかりとキープし、前線で高い足技を披露する。しかし、両チームとも好機を逃し、20分ずつの前後半が終了。試合は延長戦へと突入した。

 東大阪の足がやや優っていた延長前半早々、ついに得点が生まれた。東大阪は埼玉のペナルティーエリア外左でFKを獲得。MFの朴賢太選手(初6)がゴール右に孤を描くような鮮やかなシュートを放ち先制した。「みんなが最後まで走っていたから得点できた」と朴選手は謙遜気味に振り返ったが、芸術的なフリーキックに観客席からため息が漏れた。

東大阪(青)と埼玉の11人制決勝

 この1点を守りきった東大阪が逃げ切り、05年以来4年ぶり3回目(第3回、27回大会で優勝)の栄冠を手にした。

 DFの金勇樹選手(初6)のアボジ、金用聖さん(40)は1981年の第3回大会(当時は東大阪第2)優勝時のメンバー。「自分の時よりも今回のほうがうれしい」と満面に笑み。金勇樹選手は「疲れたけど、応援してくれたアボジ、オモニたちから力をもらい、強い気持ちを持ち優勝できた」と語った。

 小柄ながら大会随一のテクニックで優勝に貢献したFWの金志錫選手(初6)。得意技は「高速ドリブル」だと元気いっぱい。「優勝できてよかった。攻撃も防御も力があった」。

 また、チームを引っ張ってきたMFの金秀隆主将(初6)は、「うれしくて、言葉が出てこない。みんなが心をひとつにした結果。ゆくゆくは朝鮮大学校に進学してサッカーをやり、朝鮮代表になってみたい」と目を輝かせた。

 東大阪は、日常生活やコンディション調整にとくに気を配ったという。礼儀、感謝の気持ちなど、さまざまな同胞たちからの応援を忘れずかみ締めなければ結果はついてこないという認識を共有した。

 決勝戦では、技術ばかりか平均身長でも差があるため、正確なポジションどりを徹底させ、走り負けないようにしたという黄尚必監督。「甘えん坊だった生徒たちが厳しい練習に耐え、大会中にも成長し、よくがんばってくれた」と感無量の様子だった。

 一方、埼玉の金亨浩監督は「決定力不足で、主導権を握れなかった」と述べ、168センチの大型FWとして注目を集めた文炯明主将(初6)は、「最後まで走ることができなかった」と涙を呑んだ。(文=李東浩、写真=盧琴順記者)

[朝鮮新報 2009.8.12]