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〈インターハイ・ボクシング〉 神戸朝高 李智志選手  フライ級でベスト8

「拳を握り堂々と生きていきたい」

李智志選手

 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)のボクシング競技大会が7月28日〜8月3日にかけて奈良県で行われた。東京、大阪、神戸の各朝高から5選手が出場し、神戸朝高の李智志選手がフライ級でベスト8に入った。

 会場では、奈良県をはじめとする近畿地方の同胞たちが熱い声援を送った。

 観戦した神戸朝高ボクシング部後援会の文斗萬会長は、「在日同胞社会をとりまく厳しい情勢のなか、自分の子どものような存在である朝高生ががんばってくれたことで、われわれ同胞は勇気と力を得た」と述べ、同後援会の周沿革顧問は、「朝鮮での強化練習で得た強い心が表れていた」などと語った。

 また、練習の合間を縫って応援に駆け付けた神戸朝高サッカー部の林聖基主将(高3)は、「朝高生が活躍する姿は実に誇らしかった。とくに、神戸朝高ボクシング部は、学校創立60周年に花を添えてくれた」と話していた。(李東浩記者、7面に関連記事)

 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)のボクシング競技大会が7月28日〜8月3日に奈良県の平群町総合スポーツセンター体育館で行われた。東京朝高の姜相聡(ライトフライ級)、兪m(バンタム級、以上高2)、大阪朝高の金泰秀(ライト級)、神戸朝高の李智志(フライ級)、李俊憲(ライト級、以上高3)の5選手が出場し、李智志選手がベスト8に入った。神戸朝高選手のベスト8進出は06年のインターハイ以来だ。会場では総連奈良県本部の尹元植委員長をはじめとする県内同胞も訪れ、学父母らとともに声援を送った。

4ポイント差で判定負け

ベスト8に入った李智志選手

李智志選手の健闘ををたたえる同胞ら

 神戸朝高の李智志選手は3年間の集大成をインターハイで発揮し、ベスト8となった。「監督をはじめ部員や同窓生、同胞の期待に応え、恩を返したかった」と懸命に「拳を握った」。

 李選手は大会2回戦(初戦)で、椎名厚史選手(栃木県白鴎大学足利高)を相手に判定勝利をおさめ、3回戦では梅本直紀選手(和歌山県海南高)に1R1分52秒RSC勝ちした。

 つづく準々決勝の相手は優勝候補の杉田智隆選手(北海道札幌工業高、フライ級優勝)。李選手は、リーチで優位な相手に1R序盤、スタンディングダウンを奪われた。しかし、相手の攻撃にしっかりと耐え、2Rで左ストレートを決め、スタンディングダウンを奪い返した。前後のステップワークを見せた3Rでは手数を稼いだが、4ポイント差で判定負けした。

 「1Rで負けてもおかしくない」(関係者談)と評された試合だった。李選手の両親、李博利さん(60)と王敏子さん(55)は息子の試合を観戦し、言葉にならない様子。3人兄弟の末っ子である李選手を見ながら「よくやってくれた。同胞の応援もほんとうにありがたかった」と述べた。

 「今までやってきたことをすべて発揮できたから後悔はない。スッキリしている」。準々決勝後、神戸朝高の同窓生らに囲まれながら、李選手はさわやかに語った。昨年のインターハイ県予選決勝で負けた悔しさをバネに、厳しい練習に打ち込んできた。朝鮮で行われた強化練習(第12回学生体育選手団、6月25日〜7月9日)で下半身を強化した。精神面でも急成長を遂げた。

 大会中、近畿地方から会場を訪れた同胞の応援に「朝高生の拳がどれだけ重要か」を実感した。「これからも朝鮮人として拳を握りたい。準々決勝の試合を忘れることなく、卒業後も朝鮮人として堂々と生きていきたい」と語った。

 後援会の発足(08年1月)、部員の増加など、強化に努めてきた神戸朝高ボクシング部。監督10年目の金潤徳監督は、「部にとってターニングポイントとなる大事な大会だった。神戸朝高初となるインターハイでの金メダリストを輩出するため、精進したい」と語った。

李俊憲選手にも温かい拍手

健闘した李俊憲選手

金泰秀選手(右)

兪m選手(右)

姜相聡選手(右)

 李智志選手とともに健闘したのが神戸朝高の李俊憲選手だった。1回戦を3R1分4秒RSC勝ちした李選手は、2回戦で優勝候補の内藤律樹選手(神奈川県磯子工業高定時制、ライト級優勝)と対戦。

 一歩も下がることなく高い技術を誇る相手に大会屈指の打ち合いで会場を大いに沸かせ拍手喝采を浴びた。

 11ポイント差での判定負けとなったが、「自信がついた。神戸朝高のボクシングを信じてきてよかった。(同胞の姿を見て)在日同胞社会にすこしでも貢献できた」と李選手。父の李政史さん(53、神戸朝高ボクシング部後援会副会長)は「息子が、われわれ在日同胞に力を与えてくれた」と語った。

 一方、大阪朝高の金泰秀選手は初戦で判定負け(3−7)。

 1Rでダウンを奪われ、立て直すことができなかった。「この大会にかけていたが、結果を出せなかった。同胞のさまざまな支援に応えることができず、悔しい。今後、朝大に進学し、ボクシングを続けたい」と述べた。

 また、初戦敗退となった東京朝高の兪m選手(判定負け、5−6)と姜相聡選手(2RRSC負け)は、「距離感をつかむのに苦戦し、手数の少なさなどで課題が残った。練習を重ね、精神力も高めていきたい」(兪m選手)、「インターハイに出られず悔しい思いをしてきた先輩の意思、夢を背負って、来年のインターハイ優勝を目指したい」(姜相聡選手)とそれぞれ語った。

 朝鮮大学校ボクシング部の朱一コーチは、すばらしい朝高生たちの姿を見たと述べ、「ぜひ朝鮮大学校にきてもらいたい」と熱い視線を注いでいた。

 在日本朝鮮人拳闘協会の李学宰会長は、「朝高生のインターハイチャンピオンを数多く見てきたが、神戸朝高の李智志、李俊憲選手のように同胞の涙を誘った選手はまれだ。各朝高では今後、パンチスピードを高め、防御力向上にも努めてもらいたい」と話していた。(李東浩記者)

[朝鮮新報 2009.8.5]