top_rogo.gif (16396 bytes)

朝鮮大学校を見学して 力強く生きる他者に出会った

きっと自分を変えてくれる

 今秋、東京都小平市にある朝鮮大学校を初めて見学させていただいた。朝大講師である文芸評論家・卞宰洙氏のお誘いと案内によるものである。これまで在日朝鮮人の方々とほとんど触れ合ったことのない私にとって、大変貴重で新鮮な体験だった。

 朝大を訪れることになった経緯は、不思議なご縁にもとづく。春に友人から突然、本紙に自作が取り上げられていると知らされた。その記事は卞氏による「朝鮮と日本の詩人87」である。そのお礼を朝鮮新報社にメールで送ったことから、卞氏や記者の方との交流が始まった。今回、卞氏が私を誘ったのは、朝鮮について理解を深めてほしいと願ってのことである。

生徒たちの目の美しさ

入学式で胸を弾ませる女子学生たち(盧琴順記者撮影)

 当日正午前に鷹の台駅で待ち合わせた氏と、玉川上水の散策路を歩き、朝大へ向かった。清流に雑木林の影が落ち、頭上を鳥の声が響く、かつての武蔵野の面影濃い道は、東京生まれの私にとって懐かしい学園地区である。15分ほどで朝大に着いた。入口で入退表に記入し構内に入ってまず目についたのは、かつて建築の賞を受けたというやや古い重量感のある校舎である。朝鮮の歌が流れるなか少し緊張していると、歌は昼休みの合図だったらしく、学生たちが校舎から次々と出てきた。チマ・チョゴリの制服ながらも今風のおしゃれをした女の子たちや、ラフな格好の活発そうな男の子たちが朝鮮語で談笑しながら、食堂に入っていく。

 意外なのは食堂が男女別であったこと。私は女子の方に案内された。食事の前に先生からの一言があり、皆きちんと座って聞いている。食事が始まると女の子らしくお喋りが始まったが、みな背筋はピンと伸ばしたままで行儀が良い。また何人かお茶の係が立っていて、合図をすると薬罐を下げて注ぎに来てくれる。その仕草が丁寧で愛らしい。辛いラーメンに舌鼓を打ちながら、少女たちの目の美しさや礼儀正しさにちょっと感動していた。全寮制ならではの教育がなされているのだろうが、それ以前の家庭教育も想像できた。きっと素晴らしいアボジやオモニの元で育てられたのだ。嫌々ながらでなく、自然にルールが守られている。コマッスンミダ(ありがとうございます)という謝辞もさかんに行き交う。食堂の空気が透明で濁りのない感じがするのは、お互いの意思疎通がうまく行っているからだろう。食堂の奥から二人の指導者の肖像画が見つめているのに気づいた。学生たちは何十年もの間、そこに熱い敬愛のまなざしを染みこませてきたに違いない。

豊かな自然想像して

図書館の池のほとりで談笑する学生たち

 食堂を出て自然と歴史の両博物館に行く。森閑とした館内を、卞氏の説明を聞きながら眺めて回った。珍しい朝鮮豹や山猫の剥製は迫力があり、鳥や魚の種類の多さに、彼地の自然の豊かさが想像された。「幸か不幸か軍事境界線の周辺は豊富な自然が手付かずに残っているんですよ」と卞氏。鉱物の展示も目を惹いた。祖国には貴重な金属鉱物がたくさん埋蔵されていると言う。さらに歴史博物館で屋根つきの巨大な石墓の模型の内部に入ったり、見たことのない青銅器の剣などを興味深く見たりした。卞氏は熱心に朝鮮民族の歴史を語ってくれたが、一番印象的だったのは、朝鮮民族がもともとは騎馬民族だということ。これは私にとって新鮮な視点で、よくテレビで報道されるマスゲームや勇壮な音楽の根源にある民族性を知った。帰りがけに売店に立ち寄ったが、書物や民族的な商品を売る以外は、普通のコンビニである。全寮制の必須アイテムであるお菓子やカップラーメンからは、若い悩みや希望を語り合う夜が想像された。朝鮮関係の蔵書の多さを誇る図書館は、残念ながら時間不足で次回のお楽しみとなった。

 今回の見学はとにかく楽しい体験だった。それは力強く生きる他者に出会ったうれしさでもあったと思う。他者との出会いはきっと自分を変えてくれる−売店で買った小さなチマ・チョゴリ姿のテディベアも、机の上でそう囁くかのようだ。 (詩人・河津聖恵)

[朝鮮新報 2009.12.19]