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〈朝鮮と日本の詩人-114-〉 村椿四郎

コーリヤから来た女

 北風の強い晩/コーリヤから来た/マリコにあった/大統領選挙のある/コーリヤは熱い冬で/オリンピックの年で/コーリヤは燃えていた/ぼくは/一九四五年以前の朝鮮を/知らないから/三代は忘れない/ふかい怨みをわからない/マリコは言った/キムデジュンはだめだと/拉致されたキムデジュン氏を/その後つたわる話とあわせ/同情した/そして韓国を恐れた/ぼくは/ノテウ氏を好きか聞き忘れた/マリコは知らなかった/徐勝、徐俊植兄弟のことを/兄弟はいま/政治犯の獄にある/マリコはこんなことも言った/「朝鮮では」と切りだすと/北を指すからだめだと/一つの民族の二つの国/ぼくは何だろうと思った/「一つ」という言葉を/ぼくの韓国は/朴大統領の韓国だった/文世光事件の韓国だった/光州民衆抗争の韓国だった/その後/テレビは報道した/大韓航空機がインド洋に墜落と/キムヒョンヒがコーリヤへ大写しの護送姿があった/大統領選挙はノテウ氏当選と/同時放送の画面に映った/大統領就任特赦のあと/在日韓国人徐兄弟は/解放されていない/マリコのコーリヤは/ぼくの知らないコーリヤだった

 右は「コーリヤから来た女」の全文である。朝鮮についてほとんど無関心で何も知らなかった詩人(日本人の圧倒的多数がそうであった)が、とくにソウルオリンピックや金大中事件などを契機に関心をもちはじめ、独裁の「韓国」に恐れと嫌悪をいだくようになった経緯を詩にした作品である。モチーフは、隣国を知るべきである、金賢姫護送の映像が盧泰愚当選に大きく作用した、重罪の女が特赦されたのに徐兄弟が拘禁されたままであるなどの不条理をついたことで表されている。

 村椿四烽ヘ1946年に東京で生まれた評論家で、詩集「60年の子どもたち」「勿忘草を寄す」や評論集「言葉の詩学」他がある。「近松秋江私論−青春の終焉」「田山花袋の詩と評論」などのすぐれた論考も物した。 80年代以後から「韓国」詩にアプローチしたと思われる。(卞宰洙 文芸評論家)

おわり

[朝鮮新報 2009.12.11]