〈朝鮮と日本の詩人-113-〉 大庭みな子 |
米軍の侵略的本質の投影 ビイ玉の蒼い目の兵隊さん、/「長イ真珠ノ首飾リヲ下サイ。ワタシノ/オカアサンニ贈ルンデス」/売子/「手相を見せてください」/「ドウデショウカ。ワタシノ運ハ?」/「いくつですか」/「十八デス」/「人を殺すか、でなければ、人に殺される/かもしれませんよ」/運命ヲ変エル方法ハナイデショウカ」/「そうですねえ。なるべく、じっとしていらっしゃい。何もしないで、ひとりの時をなるべく沢山つくって、いろいろ考えるしかありませんよ。どうしてこんなことになったか。そうすれば、どちらもしないでもすむかも知れませんよ」/「ワタシハ チョウセンニ行クンデス」/「お母さんに贈る長い首飾りから真珠を一粒抜いて持って行けば、きっとお守りになりますよ」/売子は首飾りの留金をつける前に一粒の真珠を糸からはずして紙につつんだ。/「アサッテ行クンデス。ワタシトアシタ映画ニ行キマセンカ」/「ええ、ありがとう。でも、明日は用事があるんです」/「デハ、住所ヲ書イテ下サイ」//売り子は戦場からラヴ・レターを貰った/三通来たが、それっきり、来なくなった。//売子はラジオを聞いていた。/アメリカの兵隊が日本の少女を襲って殺した、と言っていた。/売子は新聞を読んでいた。/朝鮮には売春婦があふれていると書いてあった。日本と同じように。/朝鮮から帰還する死体を縫い合わせる学生アルバイトがある、とも書いてあった。/売子は今日も真珠屋の店に坐って、窓の外を、長いスカアトをひるがえし、/アメリカの兵隊の腕にぶらさがって歩く女たちを眺めていた。 散文詩といえなくもないこの詩「立川風景」(全文)は、朝鮮戦争のさなかである1952年に書かれた。立川には米軍基地があり連日、朝鮮戦線に爆撃機と兵士を運ぶ輸送機が飛び立った。基地周辺には死地に送られる米兵相手の娼婦が蠢き、そまつな造りの商店が多くあった。18歳の兵士が、わらにもすがる思いで手相を見てもらう哀れな姿には、戦争で敗北する米軍の侵略的本質が投影されている。殺伐とした歓楽の街米軍基地周辺を見事に焙り出し、米軍敗退を予期した詩として評価されるべきである。 1968年に「三匹の蟹」で芥川賞を受賞し、後に同賞の選考委員を務めたこの作家は、あまり知られていないが「錆びた言葉」など4冊の詩集をもつ詩人でもあり、2005年に「大庭みな子全詩集」を上梓した。(卞宰洙 文芸評論家) [朝鮮新報 2009.12.7] |