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〈女性の生き方-上〉 生涯現役スタートから10年、130回を超える

 本紙、女性欄に1世の女性たちの半生記、「生涯現役」(前身は「語り継ごう20世紀の物語」)を掲載して今年で10年。130回を超えた。さらにリレーエッセー「それぞれの四季」が始まって満10年。両コラムとも99年10月からの紙面改編によって生まれたものだった。一方、「それぞれの四季」「暮らしの周辺」は約600字のコラムだが、約80人の筆者によって約500回にわたり続けられている。2つの連載を通じて、世代の異なる女性(男性)たちの思いを振り返ってみる。

「優しさと知性とたくましさ」

 「生涯現役」で、植民地時代を生き抜いた1世女性たちはそれぞれの苦難のみちのりを語ってきた。そこには祖国や組織、朝鮮学校に学ぶ次世代のためにすべてを捧げてきた人間としての優しさが脈打つ。

苦難の道のり

米寿を過ぎても元気な高五生さん

 1世の女性たちを取材して思い出すのは、水俣病患者と長らく寄り添い、名著「苦海浄土」を著した作家・石牟礼道子さんの次のような言葉である。

 「学歴社会で学んだ知識だけでは、ただ一人の魂でさえ読み取ることができない」「私の触れた限り、人様を思いやる倫理の高さというか深さは、純然たる方言の世界にありましたから」

 「人様を思いやる心根のやさしさ」を石牟礼さんは、「人間の一番初めにあるべき知性」だと語っている。

 「生涯現役」で取り上げた人たちは、まさしくそんな「知性」を身につけた女性たちだった。植民地統治下の朝鮮で生まれ、幼いときから子守り、女中奉公や製糸工場の女工に、嫁いでは厳しい姑の下で野良作業や家事に明け暮れ、渡日後も厳しい民族差別に直面した。しかし、過酷な運命を自分の力で変えて、自分の幸せよりも他者の幸せのために尽くした女性たち。

 函館の洪鐘純ハルモニは、00年の4月、60年ぶりに帰国した。1939年、夫が慶尚北道軍威から徴用第1船で、北海道美唄炭坑に連行された。翌年、生まれたばかりの乳飲み子を胸に抱き、釜山、下関、小樽へのすさまじい船旅を経て、夫の下へ。艱難辛苦の末、家事や商売に長けた才覚で解放後は自分の店を持った。38年間も女性同盟分会長として同胞たちの暮らしを助けた。しかし、強盗に襲われたり、長男に先立たれたりその人生は波乱に満ちていた。そのことはおくびにも出さず、帰国のその日まで女性同盟支部顧問の役割を果たし、年内の自分の会費を収めた。「女性同盟の一員として当たり前のこと」とハルモニはほほ笑んだ。帰国の半年後、安心したかのように平壌で永久の眠りについた。享年87歳。人間的な魅力と品性に満ちたハルモニたち。とにかくじっとしていない。女性同盟京都南支部の元委員長高五生さん(89)は、米寿を過ぎても、街を元気よく自転車で駈けずり回る。

西陣織の名手だった玄順任さん(2005年)

 総連支部の事務所に出かけ、掃除をして、留守番をする。一昨年前までは活動家たちの昼御飯まで用意し、その合間にチャンゴで踊って、汗を流した。人に頼らず、人のためには献身する。夫とは死別し、一人息子は平壌に暮らす。2年に1回、息子の家族のもとを訪ねるのが楽しみだと語る。「金日成総合大学を卒業した孫が、アニメーションの制作のため外国によく出張している。日本にも数年前に仕事で来て、東京まで会いに行った」と破顔一笑した。

 高さんの願いは、いま途絶えている船便での祖国訪問である。「朝・日関係、朝米関係が改善し、家族が自由に会える日が待ち遠しい」と。1934年、13歳のとき、済州島から日本に来て75年。祖国と自らの運命を片時も切り離して考えたことがない世代の一人だ。「死ぬときは祖国の土に還りたい」とサラリと口にした。

 京都市の織物で名高い西陣の北西の一角、通称「百軒長屋」。人がすれ違うのがやっとの狭い路地を歩くと、機を織るリズミカルな音が聞こえてくる。ここに西陣織60年の名手として名を轟かせた玄順任さん(83)の家がある。

 05年3月、玄さんは在日高齢者無年金京都訴訟団の原告団長として京都地裁で意見陳述を行った。「朝鮮人が何を悪いことをしたのか、根本を裁判長に教えてほしい。国を盗られて100年。『悪い』とレッテル張られて100年。すでに在日の6代目が生まれている。なぜ、被害者の朝鮮人が『悪い奴』で、加害者の日本は『清く正しい神の国』なのか。私は無学なのでその理由がわからない。最高学府で学んだ裁判長、ぜひ、教えてほしい」と。真っ正直に生きてきた人の肉声が法廷内に響き渡ると、傍聴していた支援者たちは力強く頷いていた。

 一日中、機織に明け暮れ、そのかたわら、西陣の分会長を何期も引き受け、地域の同胞の暮らしを支えた歳月。そんな日常に異変が起きたのが一年前。脳梗塞に見舞われ、入院治療を経て、今はリハビリ中だ。不自由な身体で一日一時間の散歩を欠かさない。「話をもっとしたいが、耳が遠くて」と嘆いた。しかし、受け答えもしっかりしていて、持ち前の根気強さ、不屈の精神力はそのままだ。

歴史に立ち向かう

 取材中、ハルモニたちの口調に、時には恨も悔しさも涙も混じるが、微塵の暗さもない。どんな逆境にあっても、決して弱音を吐かなかった人のたくましさがあった。その力の源は何かと思う。それは「痛みをエネルギーに代えて」、歯を食いしばって生き抜く朝鮮人としての自負心だった。

 その過程でハルモニたちのつましい生活ぶりをのぞくことができた。暮らしの隅々に行き渡る知恵や賢さ。倹約術、健康的な過ごし方などに感嘆した。学校の周りを清掃したり、余り切れで雑巾を作って寄付したりして、地域社会からも尊敬されるハルモニたち。誰もがみな優れた社会性を身につけ、齢を重ねてさらに、同胞社会に尽くすことを生きがいにしていた。

 朝鮮民族の被った受難の歴史に耐えて、毅然と歴史に立ち向かうその生き方は、次の世代にしっかり引き継がれていくだろう。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2009.11.27]