〈朝鮮と日本の詩人-111-〉 荒川洋治 |
朝鮮軽視の風潮を批判 かつての朝鮮史・朝鮮語講師の寿命はみじかい この詩は「葡萄と皮」と題されて、いくつかのテーマの詩を並列した長詩全9連130行からの抜粋である。題名は、生活の糧にもならないような、朝鮮語・文学、そして朝鮮史の研究で、戦後に先駆的な役割を果した二人の日本人へのレクレイムを意味しているといえよう。「常夜灯」よりもうす暗いような、そして「廊下のようなところ」で、「まんぞくな朝鮮語の辞書もない」劣悪な条件のもとで、わずかな聴講生に講義するのが普通であった異常を、詩人は記録に残すことにつとめた。寂しさがトーンになっていて、朝鮮軽視の風潮が批判されている。梶井陟は1950年に、当局の弾圧で東京朝鮮中高級学校が一時「都立」に移管された当時に同校の教諭を務め、その後富山大学人文学部の教授となり共和国の文学の紹介に尽力した。梶村秀樹は「皇国史観」にもとづくわい曲された朝鮮史を正し、日帝の植民地支配論難の観点から在日朝鮮人の受難史にも光りをあてる仕事に生涯をかけた。 荒川洋治は1949年に福井県で生まれ早大文学部在学中から詩を書き、75年に詩集「水駅」でH氏賞を、97年に詩集「渡世」で高見順賞を受賞した。01年に「荒川洋治全詩集」を上梓。70年代以後の日本現代詩の代表的詩人の一人に数えられている。(卞宰洙 文芸評論家) [朝鮮新報 2009.11.24] |