凄まじい収奪と悲劇的なアイロニー、朝鮮牛の皮革が残した教訓 |
朝鮮歴史とかかわりをもつ有機化合物に関心を抱き、今までいくつかの小論を記してきた。このたびは広い意味では「タンパク質」ということで有機化合物の範疇に属するといえる、朝鮮牛(黄牛)の皮革が残したいくつかの話題について述べたい。
買いあさる日本商人
一言でいって、朝鮮王朝の建立以後、儒教的原理による農本主義政策が強く、軍事・交通・そして農耕以外の目的の畜牛飼育は不振であり未発達であった。しかし1876年の朝鮮に対する武力的威圧による「日韓修好条規(乙未保護条約)」以後、日本商人たちの朝鮮特産の米・木綿・牛皮などに対する、凄まじい収奪的な貿易が始まった。 このうち朝鮮牛については、広島青丘文庫の滝尾英二氏が「朝鮮牛と日本の皮革産業・考」という文献で、赤裸々にその収奪状況を記載している。それによると、乙未保護条約から5年後の1881年の1年間に元山港から大阪・西成郡渡辺村に積み込まれた牛皮の総計は84万枚におよんでいた。1882年、大阪・渡辺村に朝鮮皮革株式会社が設立されたが、「朝鮮の牛皮を本邦に輸入すれば必ず利益あり」といって、多くの日本商人が買いあさるので、朝鮮政府の官吏は「日本商人へ牛皮等を販売するのを厳禁」した。これをめぐって日本領事館は朝鮮政府に抗議している。20世紀初頭の大阪「西浜部落」は皮革産業で繁栄を極めたという。朝鮮から輸入されるのは牛皮としてでなく、「生牛」として移入され、のちに屠場で解体された牛の源皮が加工され皮革製品となる場合もあった。 朝鮮は、1910年以後、日本の植民地となり、畜産業もその効率的な収奪のため近代的な振興策が講じられるようになったが、1917〜42年に年間移出する朝鮮牛は「朝鮮総督府統計年報」に記載された頭数だけでも3万頭から8万頭におよんでいるという。 朝鮮の皮革産業で最大の規模を誇った朝鮮皮革株式会社は、操業以来一貫して皮革軍需産業の生産を担ってきた。同社の「創立25周年記念写真帳」には「創業以来鮮満における帝国陸軍の皮革軍需品(軍用靴、背嚢、帯皮、馬具、兵器用皮具類一式)を当社一手に供給し…」との記述がある。日清、日露戦争での日本帝国陸軍の強さを支えた一つの要素は軍靴と脚絆にあるといわれた。その帝国陸軍の軍靴製造はドイツに学んでいるが、製造原料の大半は朝鮮牛に求められていたのである。一方で太平洋戦争での敗北を軍靴に求める説もある…。日本の兵士たちには6カ月に一組支給されることになっていた軍靴も支給されず、戦争末期には豚皮、鮫皮や鯨皮でつくった代用靴が支給されたというが、この代用靴が帝国陸軍兵士の戦意を削いだことはよく知られている。靴を履き潰し襤褸を足首に巻いて行軍させられた話を大岡昇平氏が語っている。 ところで、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」に描かれている、日清、日露戦争での朝鮮半島や満州曠野での帝国陸軍の勝利が、その一端とはいえ、すぐれた朝鮮牛の皮の軍靴と脚絆に支えられたとの見方がある。先に壬辰倭乱で、日本に拉致されてきた朝鮮人陶工たちが、薩摩でその技術を活用して、クスノキから樟脳を効率的に取り出す方法を見出し、これによってえられたばく大な利益で、幕末に薩摩藩や明治維新政府が軍艦を購入し、その「雲揚号」などによる威嚇的な砲艦外交により乙未保護条約を強要された、朝鮮歴史の悲劇的な「アイロニー」の再現を垣間見るような気がしてならないのである…。 解放後、北へ 一方、朝鮮牛の移入においてウイルス病である「牛疫」という伝染病の流行を防ぐことが、最も緊要な課題として提起された。この「牛疫」根絶に成功したのは日本の獣医学者たちの研究成果であり、これは「天然痘」につぐ感染症の根絶となる世界的なすぐれた功績であると評価されている。それについては、東京大学・山内一也名誉教授の「史上最大の疫病・牛疫」―世界史への影響と獣医学のルネッサンス―なる論文があり、日本の獣医学者によって開発された「蠣崎ワクチン」と「中村ワクチン」によって根絶されたという。1838年に北海道帝国大学農学部を卒業し、解放直後は釜山の家畜衛生研究所長であった金鐘禧氏は金日成主席の要請により「牛疫」の予防ワクチンを平壌に送った。これによって職を追われた金氏は入北後、金日成総合大学の教授として活躍し、1948年朝鮮での第1回博士(獣医学)学位の受賞者となったことを昨年秋の祖国訪問で知った。 また現在、大いに喧伝されているコラーゲンは牛の皮革のタンパク質であり、熱で構造が変化してケラチンという別のタンパク質となるが、このようなタンパク質を特色ある機能性素材として開発・利用する研究は、今後ますます活発になると思われる。 おわりに、本紙にも紹介されたように1998年6月、南朝鮮・現代グループの鄭周永名譽会長が朝鮮牛500頭を連れ、板門店を経由して入北した。 朝鮮牛が残してくれた歴史的な教訓を思うにつけ、鄭名誉会長は、実に「同胞愛と郷土愛に満ちた粋な人物」であったことを心から賞賛してやまない。(在日朝鮮人科学技術協会中央常任顧問 申在均) [朝鮮新報 2009.11.13] |