〈朝大 朝鮮歴史博物館-3-〉 青銅器時代と古代国家 |
白銀のように輝く銅鏡など 朝鮮で青銅器が使用されたのは今から5500年前といわれる。青銅とは銅と錫、鉛でできた合金のことをいう。銅と聞くと錆ついた青色を連想してしまうが、当時のものは白銀のように輝いていたようだ。筆者が平壌の古代遺跡(楽浪遺跡)を発掘調査した時に出土した銅鏡が銀色の光沢を保っていたことは、十数年を経た今でも忘れられない。青銅器が使用され始めるとやがて国家の誕生となる。今回は銅剣と支石墓から朝鮮の青銅器時代と古代国家についてみることにする。
個性的な琵琶形銅剣
青銅器時代には青銅器ばかりを使っていたと考えがちだが、意外にも石器のほうが多用されていた。青銅がとても貴重なものであったからだ。またこの時代には剣や矛など多くの武器が作られ、鏃(矢の先)も大型化し、殺傷能力が増していることに気づく。剣や矛をつぶさに観察すると出血を促すための溝も見える。狩猟用とは思えぬこれらのものは、種族間の抗争と国家の始まりを想定するのに十分な資料といえよう。 さて古代朝鮮を代表する銅剣が琵琶形銅剣である。剣身部が楽器の琵琶に例えられたことからこの名がある。よく見ると取っ手(柄)が見当たらない。この銅剣は組立式であり、木や石で作られた取っ手が散逸してしまったからである。中国やモンゴル地方の銅剣は剣身と取っ手が同時に鋳造されており形状も異なる。このように銅剣にも民族の個性が表れている。 琵琶形銅剣はその後、細形銅剣に引き継がれていく。この銅剣も組立式で、形状が細長く、より実用化している。剣身を見ると刃の両端の一部が少しくびれているのに気づく。これは琵琶形銅剣のなごりである。細形銅剣は鉄器と共に出土することから鉄器時代の到来を意味する指標とされている。
石を組み立てた支石墓
平壌近郊からはたくさんの支石墓が報告されている。その数なんと1万2千基を超えるというからすごい。今も立派に立っているものもあるが崩れたものの方が多い。 支石墓は四面に板石(支石)を立てた後に蓋石を乗せ人や副葬品を埋葬した墓である。したがって支石墓を発掘すると人骨や青銅器、石器などが発見される。数千年の風雪に耐えてきたつわものからの出土品はなく、無残に崩れたものから遺物が出るのは実に皮肉なことである。支石墓の中には、蓋石の上に星座のような穴を掘ったものもある。当館には北斗七星を刻んだ蓋石の拓本があるが、いずれ展示してみようと思っている。
古代国家と弥生時代の日本
朝鮮の古代国家とは古朝鮮、扶餘、辰国などである。檀君が建てたという古朝鮮がまず興り、やがて扶餘や辰国が続く。領土は朝鮮半島と今の中国東北部にまたがっていた。古朝鮮は平壌地方に、扶餘は吉林地方(現中国吉林省一帯)、辰国は朝鮮半島南部に歴史を刻んだ。ちなみに琵琶形銅剣や細形銅剣、支石墓はこれら三国に共通するものである。 ところで、日本の九州北部で始まった弥生時代(紀元前3世紀頃〜紀元3世紀)の遺跡からも細形銅剣や支石墓などが報告されている。福岡県の板付遺跡や佐賀県の吉野ヶ里遺跡では細形銅剣ばかりでなく石包丁や石斧など朝鮮式農耕具も発見された。弥生時代の日本では稲作が始まりやがて国家が誕生するのだが、これらのことは当時の朝鮮との交流を前提に考えることが必要である。このように当館の展示品は古代朝鮮ばかりでなく、弥生時代の日本文化にもつながるのである。(河創国、朝鮮歴史博物館副館長) 朝鮮歴史博物館へは「朝鮮大学校国際交流委員会」へ電話連絡のうえお越しください。 朝鮮大学校 東京都小平市小川町1−700、TEL 042・341・1331(代表)。 アクセス ・JR中央線「国分寺」駅北口より西武バス「小川上宿美大前行き」または「小平営業所行き」「朝鮮大学校」下車徒歩1分 ・JR中央線「立川」駅北口より立川バス「若葉町団地行き」、終点「若葉町団地」下車徒歩10分 [朝鮮新報 2009.11.13] |