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朝聯解散、朝鮮学校閉鎖令60周年に思う 在日朝鮮人政策、根本から転換を

 来年は、日本帝国主義による「韓国併合」100周年を迎える。「併合」は、朝鮮民族に多大の被害をもたらし、新たな在日朝鮮人問題を発生させた。100年のスパンで、在日朝鮮人問題、在日朝鮮人運動をあらためて再考察するときがきた。さて、今年の9月8日は在日本朝鮮人聯盟(略称=朝聯)が日米当局の弾圧によって強制解散させられて60年、また、10月19日は日本政府当局が在日朝鮮人の学校に対して閉鎖令を強要して60年になる日である。

「植民地奴隷」の解放

日本当局によって強制解散させられた当時の朝聯会館(1949年9月8日)

 在日朝鮮人は解放から2カ月後の1945年10月15、16日に朝聯結成大会を開催、その誕生を宣言した。

 朝聯は、「植民地奴隷」状態であった在日朝鮮人が、戦後の混乱のなかでも広範な同胞を網羅して結成した初めての大衆団体であり、祖国と同胞のために寄与することを目指した民族的愛国的組織である。

 朝聯は、各地に組織をつくるとともに、同胞の帰国支援、生活安定、そして民族教育などに積極的に取り組んだ。また、朝鮮での民主政権樹立のための活動、祖国の分断に反対し朝鮮の独立統一を目指す活動、とくに48年4月の南北連席会議に参加し、5月の南朝鮮での単独選挙に反対する運動も繰り広げた。

 朝聯は、全朝鮮人民の総意にもとづいた朝鮮民主主義人民共和国の創建を強く支持し、大々的な祝賀事業を行うとともに慶祝団を派遣している。金日成主席は48年12月23日に慶祝団と会見し、貴重な談話を行っている。朝鮮創建後、朝聯は「共和国に直結しよう」というスローガンのもとに多彩な運動を推進した。

 ところが米日当局は49年9月8日、朝鮮創建1周年記念日の前日、反占領軍行為を理由に「団体等規正令」を適用、法務総裁名で朝聯とその傘下団体であった在日本朝鮮民主青年同盟(略称=民青)を強制解散させた。

 朝聯は中央、本部、支部、分会までの1883単位、民青は同じく813単位、合わせて2696単位が解散させられた。そして朝聯と民青の幹部28人を公職追放し、東京駅八重洲口に所在した朝聯会館をはじめ日本各地にあった朝聯と民青の財産を没収した。

試練に直面した民族教育

 日本政府当局はかねてから朝鮮学校に対する弾圧を企図していたが、朝聯を強制解散させた翌月の10月12日に閣議決定を経て、19日には教育基本法、学校教育法違反を理由に、92校に閉鎖、245校に改組の命令を下した。

 この弾圧は、要求に従わなければ有無も言わせない「閉鎖」命令であった。在日朝鮮人は反対してたたかったが民族教育全般は厳しい試練に直面した。兵庫県などのいくつかの県では自主学校として守りぬいたが、閉鎖に追い込まれるか、東京のように都立朝鮮人学校や公立学校の分校、民族学級になってしまった。

 9.8と10.19の二つの弾圧事件の背景には共通性がある。

 ひとつは、米国の対日政策の変化である。グローバル・ポリシー、世界制覇戦略が米国の戦略ではあったが、占領初期には日本中立化政策という看板はあった。しかし、48年1月のロイヤル陸軍長官の「(日本は)反共の防壁」発言などからも中立化政策をあっさり捨て去り、日本の極東軍事基地化政策、後方基地化政策を露骨に進めた。この政策に反すると思われるものは、容赦しないというのが背景にあったといえる。

 次に、朝鮮敵視政策がある。朝聯は朝鮮を成立前から支持し、成立後は「直結する」とまでその政治的志向性を明らかにし、海外公民として活動することを目指した。日米当局は朝鮮の存在すら認めず、日本で朝鮮を支持する勢力の排除を狙った。あたかも49年は朝鮮戦争勃発前年である。中華人民共和国の成立などアジアの革命、民主、平和勢力の増強に危機感を抱いた日米当局は身近な在日朝鮮人と朝聯を当面のターゲットにしたといえる。

 二つの弾圧事件からなにがみえるのか。なにを示唆しているのか。

 第一点、日本当局は在日朝鮮人とその組織である朝聯を一貫して弾圧、統制の対象としていたということである。日本当局は在日朝鮮人と朝聯弾圧を虎視眈々と狙っていたといえる。法務府特別審査局が発行(51年6月、極秘)した「解散理由書」の朝聯、民青の部分(結成当初から解散直前までを扱う)をみると、基本的人権といえる民族教育の権利を守るための4.24闘争や国旗掲揚闘争も反占領軍行為とみなし、解放新聞の文章までが解散理由になっている。在日朝鮮人を外国人と処遇し、また歴史的経緯がある民族集団としての待遇など微塵も見られない。

 第二点は、在日朝鮮人に対する弾圧は日本国内民主勢力に対する弾圧の前兆であったということである。朝聯解散翌年の6月には日本共産党中央委員全員を公職追放し、7月にはレッドパージを本格化している。

 60年前の教訓は今日も参酌できよう。

朝・日国交正常化

 さて、日本では政権が交代した。これを「変化」という人もいれば「革命」という人もいる。日本の内政に干渉はしなくとも、在日朝鮮人問題に関して発言するのは内政干渉ではない。政権交代期に、日本当局の在日朝鮮人政策の変化を希望するのは当然であろう。

 そもそも、在日朝鮮人問題解決の道は@祖国の自主的平和統一の実現A朝・日国交正常化B日本当局(政府、自治体まで含めて)の在日朝鮮人処遇の改善などがカギになると思う。もちろん、在日朝鮮人にも主体的役割が求められることはいうまでもない。

 こんにち在日朝鮮人を取り巻く状況は一言で異常であり、その異常さが常態化しつつあるところに危機感さえ覚える。100年前に在日朝鮮人問題が発生し、今日に至るまでの活動の中で、在日朝鮮人は「60万の島囚」から祖国への帰国、祖国と第三国への往来の自由、朝鮮大学校など各種民族学校の法的認可、公営住宅入居、児童手当、年金加入など諸権利を獲得・拡大してきた。

 これらは、@国際人権規約などの国際法と国際慣例に合致しA朝鮮の海外公民としての当然の主張でありB在日朝鮮人形成の歴史的経緯の考慮などから、在日朝鮮人と総連のたたかい、日本の各階層の人々の理解と支持、国際的な支援の結果勝ち得たものであった。

 ところが、過去の正当な活動が全く霧散したかのように、人道の船「万景峰92」号の入港が阻止され、朝鮮への郵便物すら門前払いされる事態が生まれている。福岡高裁の熊本朝鮮会館裁判に見られるような司法における「政治的判決」、薬事法、税理士法、外為法などを口実にした警察、税務当局などの強制調査、下関教育長の朝鮮半島支配は「事実に反する」などとの暴言など巷には反朝鮮、反総連、反在日朝鮮人の世論と社会的思潮が依然としてまん延している。

 そこには、「二重の制裁」を国内外で叫ぶ日本政府当局とマスコミの偏向報道が強く影響していると思う。

 「国賊」よばわりされても日朝親善と国交正常化のために奮闘している日本の人たちも少なくない。「併合」から100年、また解放から65年、総連結成から55年を迎えようとするこの時期、そして9.8、10.19の二つの事件を省みて、新たな前進を希望する。(承)

[朝鮮新報 2009.10.16]