〈脳内出血による失語症者の闘病記-6-〉 積極的に人と交流 |
私は江戸川区北小岩に住んでいるが、最寄りの駅は「京成江戸川」で、隣の駅はもう千葉県である。家から駅まで普通の人だと6、7分もあれば着く距離だ。 まず私は、家で歩く訓練を午前中に30分、午後も30分に決めた。駅への行き帰りを想定してのことだった。ある程度の自信がついたとき、妻や娘らに付き添ってもらい、杖をつきながら駅に向かった。これまで怖くなってUターンしたことが5、6回もあった。最初は25分かけて駅に到着した(07年春頃)。 駅に行けるということは、電車に乗ればその先にも行けることになる。私はうれしかったし、今までとは違う世界が広がったように感じた。新鮮な思いを抱いて一人で歩き、電車やバスなどに乗って患者たちで作っている会に向かった。すでに会員であった小岩地域の「けやきの会」(05年10月入会)や、千葉県市川市の「げんき会」(06年4月入会)にも行けた。月一回の会だが、私は必ず参加して積極的に発言した。いろいろな友がいて、一同が2時間半を楽しく過ごすのである。三つ目に参加したのは、患者やその家族、先生らが自主運営をしている「青空の会」。千葉県浦安市にあり、昨年の11月頃に入会した。この三つの会とは、今後も長くつきあおうと思っている。 また私はいろいろな所に行き、さまざまな人とも会った。以前の同僚が働いている五反田や新宿、代々木、上野、日本橋、御徒町、池袋など次々と訪れ、会っては話をした。朝鮮大学校卒業後から続いている「政経18期会」や東京朝高の「読書会」、元同僚たちで作る「38会」「はなの会」などにも顔を出しては、若干お酒も飲み、語り合った。毎日が勉強になっているし、とくに言葉がよく出て、足腰も強くなったような気がする。 文章が書けるようになったのは、2年前の8月頃だった。ある人から「文章は簡単だと思って書いてみなよ」と誘われたのだ。急な話だが、気を引き締めて書くことにした。最初は1200字ぐらいを書くのに2週間もかかった。それを契機に徐々に増やしている。 本は、昨年の9月8日から10月7日のまる1カ月で単行本を一冊、初めて読み終えた。読むのが遅く、70%ぐらいはわかっても記憶がすぐに薄れてしまう。少しずつ記憶力向上をと思っている。 文章を書けたのも本を読めたのも、ともに涙が出そうなうれしい出来事だった。(尹成龍、東京・江戸川区在住) [朝鮮新報 2009.10.14] |