1年ぶりに訪朝して 新観光スポットに「黄真伊の墓」 |
各国観光客で賑わう平壌、夜景を楽しんだ元山、新しい竿もつ釣り人ら
今年も朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン(ハンクネット)訪朝団の一員として、8月27日から9月1日の日程で、平壌、開城、元山を訪問した。例年通り、訪朝に合わせて平壌市育児院と江原道育児院に粉ミルクを送ったが、今年はいつにない困難があった。日本政府の全面禁輸措置のために、日本から直接ミルクを送れるのかどうか不透明だったので、経済産業省と交渉をしつつ、先にオーストラリア産脱脂粉乳約5.4トンを韓国・仁川港経由で南浦港に送ったのだ。結局は人道支援物資であることが認められ、日本製の粉ミルク850キログラムも船便で送ることはできたが、経済産業省は育児院の住所や院長の名前まで細々とした情報を要求し、何とも不愉快な後味が残った。 北京経由で平壌に到着すると、空港ターミナルは在日朝鮮人の祖国訪問団や、さまざまな国からの観光客でごった返していた。税関検査の行列に並んでいたイギリス人女性に聞くと、「アリラン公演を見に来た」と言う。66年Wイングランド大会での朝鮮の活躍を描いたドキュメンタリー映画「奇蹟のイレブン」のダニエル・ゴードン監督が企画したツアーだそうだ。
その日の北京−平壌間の高麗航空は二便に増便されていた。このままでは間もなくターミナルが手狭になるのでは、と心配になるほどだった。独り相撲をとる日本の政治家や役人に見せてやりたい光景だ。
翌日は板門店へと足を伸ばした。非武装地帯へと続く検問場には観光バスが列をなし、中国人観光客であふれている。ある老夫婦の会話に耳を澄ませると、延辺から来た朝鮮族だった。 ガイドの軍人には見覚えがあった。06年にも世話になった人民軍板門店代表部の参謀だ。向こうも私の顔を覚えていてくれて、懐かしく握手を交わした。 「日本人の多くが、朝鮮の核やミサイルに脅威を感じているが」と水を向けると、彼は「われわれは戦争を望まないが、日米が敵対政策を続けるかぎり、それに備える必要がある」と答えてから、ニヤリとしてこう付け加えた。 「でも、ご心配なく。もし戦争になったら、私がみなさんを迎えに行って朝鮮に連れ帰りますから」 周囲は笑いの渦に包まれた。
続けて開城に立ち寄った。昨夏に続けての訪問だが、前回はソウルからの一日観光だった。北と南、どちらから来るかで、この古都は違う表情を見せる。「南からの客」だった昨年、開城の街路は人通りが少なく、住人たちは路地の奥から観光バスをのぞいていた。
今回は人も自転車も多い。名物の飯床器の昼食をとった統一館の向かいの木陰では、老若男女がのんびりと涼んでいる。南大門の鐘楼に登ると、国宝の大きな鐘の向こうから、いたずら小僧が顔をのぞかせた。 黄真伊の墓の参拝を希望したが、改修中でかなわなかった。だが、南側が築いたコンクリート障壁の見学に行く途中、バスの車窓から「黄真伊の墓」と書かれた小さな看板を見つけた。南からの開城観光が再開されれば、絶好の観光スポットになることだろう。 3日目は平壌市育児院を訪れ、ミルクの到着と元気になった子どもたちの姿を確認できた。この数年で食糧事情はかなり改善されたが、粉ミルクは国内生産ができず、入手が難しいそうだ。海外NGOで乳児用の粉ミルクを支援しているのはハンクネットだけだと聞き、肩がずっしりと重くなった。 今回の旅行全般を通して、人々の生活に厚みと余裕が感じられた。平壌はリニューアルがほぼ完了し、平壌大劇場は改築を済ませた。105階建ての柳京ホテルも、急ピッチで外壁工事が進んでいる。噂のハンバーガーショップでは、若い男女が生ビールを片手におしゃべりに興じていた。 かつて主流だった日本製の中古車は減り、ドイツ車や国産車が増えている。新築のガソリンスタンドも何カ所か見かけた。料金表示には「1リットル1.05ユーロ」とあった。沙里院の田舎道では、「アリラン公演」とプレートを掲げた観光バスとすれ違った。元山の街は新しい発電所の完成で夜景が楽しめ、港の防波堤に立つ釣り人は新しい竿を手にしていた。 日本に戻ると、朝日新聞(9月16日付)に「150日戦闘 国民疲弊」と題した記事が掲載された。本文をよく読むと、現地取材は一つもなく、すべて韓国での又聞き情報で、首をかしげてしまった。(米津篤八、ハンクネット共同代表、翻訳家) [朝鮮新報 2009.10.13] |