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〈朝鮮と日本の詩人-106-〉 金井新作

「ある国境守備兵の話」

 −この不逞鮮人共を、あの立木に、縛りつけろ。目隠しだ(中略)俺達、選び出された、十人の射撃の名手/俺達の心は、この無残な銃殺を拒否した//−寝射ち! 一斉射撃!//俺たちは弾丸をこめなければならなかった/実弾だ/俺達の手は、ぶるぶる震えた(中略)−射て、銃!//轟然たる音響!/だが−一発も命中していないではないか//一度で死ななければ、放免されるのが規則だ/俺たちは中隊長を見た/そこに残忍な二つの瞳が憤怒にふるえていた//−臆病者め!俺がこうしてやる/中隊長はきらり軍刀を抜き放った/四人の鮮人は、目隠しを取られた/瞬間、喜びに輝いた顔は、鋭い刃を見て、さっと曇った/忽ち四人は地面に切り倒された/血の滴る軍刀を拭きながら、中隊長はにやり笑った//俺たちの銃口は、中隊長の胸倉に吸いよせられた/俺たちは、黙って、こみあげて来る涙をのみ込んだ

 右の詩「銃殺−或る国境守備兵の話−」は全8連29行で、ここでは第2連の3行と第4連の3行、計9行を省略した。

 日本侵略軍は無辜の朝鮮人民を「不逞鮮人」と呼ばわって、あってもないようなものではあったが、裁判にもかけず虐殺した。この詩は、そうした、処刑の名による殺人行為を怒りをもって告発している。銃殺執行を命じられた下級兵士たち全員がわざと狙いをはずした行為に、詩人は、日本人民の良心を暗示している。九死に一生を得たものと思って喜ぶ朝鮮の民を斬殺する日帝職業軍人の残忍は「にやりと笑った」という詩句で端的に表されている。貧しい農民であったであろう十人の兵士の「俺たちの銃口は…」という詩句は、プロレタリア国際主義を象徴している。

 金井新作は1904年に沼津市で生れ慶応大学仏文科に学び、21年から詩を書き始めた。25年に詩誌「奔流」を主宰し、30年には小野十三郎らと詩誌「弾道」を創刊してアナキズム文学運動の同伴者となった。詩集に「追憶」他がある。(卞宰洙 文芸評論家)

[朝鮮新報 2009.10.5]