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〈朝鮮の指揮者の素顔-下-〉 金元均名称平壌音楽大学教員 チェ・ジュヒョクさん

祖国の音楽に対する「確信」

 金元均名称平壌音楽大学で教鞭をとるチェ・ジュヒョクさん(27)は、昨年5月から国立交響楽団の客員指揮者となった。朝鮮最高峰のオーケストラでの活動を通じ、「なぜ金正日総書記が自分を外国留学させてくれたのかわかった気がする」という。

留学

 2000年、朝鮮は音楽家を目指す18人の学生をオーストリア・ウィーンなどに国費で留学させた。そのなかで最年少だったのがチェさんだ。

 「当時の祖国は経済的な試練を乗り越えたとはいえ、まだ状況は厳しかった。そんな事情を十分に知った上での留学だった」

 6年間の留学生活では「他人もうらやむ条件」が保証された。学費と生活費ばかりか、音楽公演の鑑賞費などまで国から支給された。

 「他国からの留学生たちは安い立見席で鑑賞していたが、私たちはオーケストラの演奏、指揮法を学ぶなどそれぞれの目的に合わせて、どんな席も選べた」

 その待遇は、大学の教授さえもうらやむほどだった。

 「祖国の期待に応えるために頑張らなければ」−そう誓ったという。

 音楽との出会いは自然なものだった。国立交響楽団でタンソ(朝鮮の民族楽器)演奏家だった父と小説家の母を持ち、5歳からピアノを習い始め「神童」と呼ばれた。

 音楽を本格的に志そうと考えたのは12歳のときだ。「音楽から離れた人生を想像できなかった」と話す。

 大学入学と同時にピアノから指揮へと転向した。その背景には若手指揮者を育成しようとする国の方針があった。

 「元々指揮に興味をもっていたし、自信もあった」

確信

 ウィーン留学は、音楽観の形成に大きな影響を与えた。

 留学中に触れた数々のクラシック曲は、音楽家としての生涯を歩むうえで「かけがえのない財産」だという。

 もっとも印象を受けた曲を尋ねると、「交響曲『ピパダ』第2楽章」という意外な返答が返ってきた。

 ウィーンの下宿先で、勉強のかたわら耳を傾けた曲だ。留学する際、国から贈られたプレイヤーで何度も聴いた。

 「祖国の曲を聴くと何とも言えない気持ちになる。郷土的というか、胸にこみあげてくるものがあり、瞬時に感情が昇華する。どんなに西洋のクラシックを学ぼうと、朝鮮人としての感性は欺けないと感じた」

 民族楽器と洋楽器による配合管弦楽の独特な響きとそれを存分に生かすことのできる大作の数々、感情の同一性、芸術家たちの一致した志向−彼はこれらが朝鮮音楽の発展を保障する要素だと指摘する。

 留学を通じて得たものは、祖国の音楽に対する「確信」だった。

自信

 現在、国立交響楽団の定例公演で管弦楽「青山里の豊年」を指揮する。この曲は、たいてい公演の最後を飾る同楽団の代表曲だ。

 「先輩たちの『青山里』はすばらしかった。しかし音楽表現に完成はない。私にも自分なりの解釈がある」

 彼は、ホルンとコントラバスによる作品の導入部を例に挙げた。青山里の朝焼けを表現した部分だ。

 「青山里を、ある時代の固定された農村として表現しようとは思わない。さかのぼれば数千年前からあった朝鮮の土地だ。高句麗、高麗、朝鮮王朝時代を経て今、この時代にも青山里は存在し今日も太陽が昇る。そのようなイメージで作りあげていく」

 今、ぜひ取り組みたい曲がある。管弦楽と合唱「雪が降る」だ。「合唱と管弦楽を組み合わせることによって、聴衆に強いメッセージを届けることができる。聴くほどに意欲がわく」と目を輝かせる。

 「神童」と呼ばれたのはもう過去の話だ。20代で朝鮮随一のオーケストラでタクトを振る「指揮者チェ・ジュヒョク」の名前は定着しつつある。

 「簡単に得られる地位じゃないので、負担に感じるときもあった。でもそんな負担が最近は快感に思えてきた」(呉陽希記者)

[朝鮮新報 2009.10.2]