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日露戦争の代表的研究者 大江志乃夫さんを悼む

「植民地支配は醜悪な歴史」

 日露戦争の開戦から今年で105年。

 奇しくもこの年に、日本近現代史を専門にし、日露戦争についての代表的な研究者として知られる茨城大学名誉教授の大江志乃夫さんが9月20日、急性肺炎のため死去した。享年81歳。日本近代史における軍事史を追究し、とくに「日露戦争の軍事史的研究」は実証的精緻さにおいて群を抜くものと高く評価された。「徴兵制」「戒厳令」「日本の参謀本部」などの著書多数。大佛次郎賞を受賞した「凩の時」は、その深い歴史・軍事史的な知識が随所に生かされ、日本の侵略戦争への徹底的な批判と犠牲を強いられた人々への共感が息づく。

ありし日の大江さん

 大江さんの魅力は、歴史観の明快さであった。朝鮮についてこう述べている。

 「日本は、固有の歴史と高度に発達した文化を持つこの民族全体を丸ごと植民地として支配してその文化を根絶しようとして、その民を日本の次なる新しい戦争の道具として使い捨てた。その傷はいまだに癒えずその怨恨はいまだに深い」。

 20世紀最初の大戦争であった日露戦争について、日本では近年、朝鮮に対する植民地支配肯定論と表裏一体となって、もっぱら肯定的にとらえようとする論調ばかりが目立つ。大江さんはこの点について「日清、日露戦争までは正しかった、などという考え方は通用しない。日本の朝鮮植民地支配は美辞麗句のウソで固められた醜悪な歴史として出発した」と語り、日本人の歴史意識を徹底的に正した。

 とりわけ95年、日本敗戦50年の年に、大江さんは日本の旧植民地の半世紀後を歩いて現地でその歴史を振り返ってみたいと朝鮮半島の北と南をたどる旅に出た。そのときにまとめた一冊が「日本植民地探訪」(新潮選書、98年刊)。同書には、日露戦争に駆り出され、元山に駐留する日本の一兵士が故郷に送った手紙が紹介されている。当時の日本軍(韓国駐箚軍)による義兵闘争鎮圧の凄まじさ−。「いわゆる殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす『三光作戦』は昭和の日中戦争の戦場で行われたのが最初でなく、すでにこの時の韓国の完全植民地支配をめざした武力行使の過程で、軍司令官の告示にもとづき公然と実行されたのである」と断じている。

 大江さんの歴史認識の鋭さは、「従軍慰安婦」問題についても通底している。「『従軍慰安婦』という言葉は使ってほしくない。なぜなら、彼女たちは戦時国際法であるハーグ陸戦法規に規定する従軍者ではなく、したがってジュネーヴ条約で交戦者に準ずる待遇を定めた条文の適用を認められないからだ。彼女たちは輸送船に乗せるにも軍需品として物品扱いされたし、人格なき奴隷としてしか待遇されなかった。人格なき犬や鳩にたいして従軍ではなく、軍用という名称が与えられていたが(軍馬も正式には軍用馬匹である)、まさしくその意味からすれば彼女たちの扱いは軍用性奴隷にほかならなかった」と。

 日本に定着する明治の戦争を賛美する司馬史観。小説「坂の上の雲」で見られる明治の指導者たちは、英知を振り絞って国難にあたり、戦場ではフェアプレーに徹したという誤った見方。それどころか、大江さんは「日露戦争以降の日本の参謀本部は、理論面でも実践面でも決定的に無能であった」と断じている。

 大江さんは、その軍事史研究を通じて、国民の「無知」に乗じて「底の浅い理論を振りかざす風潮」に警鐘を鳴らした。彼らが日本をふたたび滅亡の危機にミスリードすることを強く警戒したからである。研究を通じて平和を希求する生き方を貫いた。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2009.10.2]