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〈朝鮮と日本の詩人-105-〉 草鹿外吉

「君を救えぼくらよ」

 ソウルの詩人よ/きみへの死刑宣告は/世界の詩人へのそれ/きみの首にしのびよる絞め縄は/民主主義へのそれである/きみのひたいにこらされた銃口は/起爆のときを待つ/ぼくらにこらされた小選挙区制/ぼくらにこらされた刑法改悪である/おお ソウルの詩人よ/「五賊」とKCIAのほかは/犬もたたずまない外出禁止の街に/きみの詩は「蜚語」となり 夜霧をまとい/河面を這い木々をつたい/大統領官邸にしのびよる/ひとりきみの詩だけが/走り 語り 叫ぶ/これこそ 詩人の栄光/その栄光のゆえに きみは/死刑台にのぼろうとしている/ソウルのきみを救え/東京のぼくらよ/多喜二の青黒い死を/ロルカの生き埋めを/ビクトル・ハラの切り裂かれた指を/きみにあらしめてはならない/ソウルのきみを救え/東京のぼくらよ/スイッチをひねれば電気がつくほど/口をひらけば民主主義を語る/東京のぼくらよ/その言葉の生と死にかけて/ソウルのきみを救え/金と歓楽と支配をあさりに/きみの空港におり立った/数限りない破廉恥な日本人への/怒りをこめて/きみを救え/日本のぼくらよ

 「きみを救えぼくらよ」の全文である。この詩の特徴は、一種のアピール詩の形式で、金芝河救援の運動が日本の反動化に反対するそれと同次元であるというモチーフにつらぬかれた、独裁政権拒否が鮮明である点にある。金芝河は転向書を書いたことを告白し、出獄後は新興宗教まがいの「生命思想(生命運動)」を唱え、91年に焼身自殺をも辞せずにたたかう学生運動を批判した。これに対して詩人金南柱を初めそれまで救援運動にたずさわった人士たちが失望と批判の意をあらわした。しかし、70年代における金芝河のたたかいと詩は、南の民主化に貢献したのは確かである。

 草鹿外吉は1928年に鎌倉で生まれ、海軍兵学校に入学した。敗戦後、早稲田大学露文科に学び博士課程を終えてロシア・ソヴェト文学の翻訳・研究に多大の業績を残した。民主的詩人の集まりである「詩人会議」所属の詩人として政治性を鮮明にした作品を書きつづけ、93年に64歳で他界した。「草鹿外吉全詩集」(思潮社刊)がある。この詩はパブロ・ネルーダ生誕70周年記念と金芝河の釈放を求める集会(74年7月17日)で朗読された。(卞宰洙 文芸評論家)

[朝鮮新報 2009.9.28]