「司馬遼太郎の歴史観」を刊行した中塚明氏に聞く 「朝鮮を踏み台にした日本」 |
歪んだ「朝鮮観」「明治栄光論」を徹底批判 今年80歳を迎える歴史家の中塚明さんがこのほど「司馬遼太郎の歴史観−その朝鮮観と明治栄光論を問う」を刊行した。同氏は日清戦争・日朝関係史研究の第一人者。近代日本の立ち遅れた朝鮮観を根底から覆す視点を切り開いてきた歴史家として知られる。なぜ、いま、司馬の「朝鮮観」なのか。中塚さんに聞いた。
ドラマ「坂の上の雲」
「今回新たに本書を書き下ろしたのは、NHKが今年11月末から2011年にかけ、13回にわたり、司馬の代表作『坂の上の雲』を原作とするスペシャルドラマを放送することを知ったからだ。ほかならぬ『韓国併合』から100年の年をはさんで、作者自身が映像化されたくないと明言していたこの作品を、テレビドラマ化することにどういう意味があるのか、本書がそのことを考える一助になることを願っている」と語る。 「坂の上の雲」の総発行部数は累計2千万部を超え、原作者の司馬は「国民的作家」と呼ばれた。その没後も多くの著作物、関連図書が刊行され、日本人の歴史観に大きな影響を及ぼしている。 「坂の上の雲」の中で、司馬は繰り返し、「明治の指導者・国民は良かった。戦前の昭和は本来の日本ではなかった」と主張してやまない。司馬だけではなく、大佛次郎、大岡昇平といった作家たちも、「明治の先人たちの仕事を三代目が台無しにした」という認識を残している。その「明治栄光論」は多くの日本人の共有している歴史感覚でもある。 しかし、中塚さんは明治という時代は、「明るく希望があった青春ニッポン」だっただろうか、と根本的な疑問を投げかけている。とりわけ本書では、明治日本が、朝鮮半島を踏み台にして帝国主義国への階段をかけあがっていった過程を、具体的な事例(日本軍による朝鮮王宮占領事件、朝鮮農民軍の虐殺、朝鮮王妃殺害事件)をカギとして解き明かし、明治日本が純粋無垢な「少年の国」(司馬の言葉)ではなかったことを証明している。 司馬は、朝鮮王朝末期を論じて「競争の原理を内部に持たない、……それがいかに腐敗して朽木同然になっても、みずからの内部勢力によって倒れることがない。…他から倒されるほかない」(「坂の上の雲」)などという暴論を繰り返している。 中塚さんはこの見方を徹底的に批判する。「この筆法でいくと明治以降の日本が朝鮮になにをし、日本のしたことが、朝鮮の近代化にどんな影響を与えたとしても、そんなことは書かなくてもよいことになる。まして、日本が朝鮮の社会的混乱を助長したり、朝鮮の社会に変化の芽があらわれたのを日本が摘みとったりしても、そんなことも書かなくてすませることができる。こういう筆法が、司馬の『朝鮮論』の『からくり』であり『坂の上の雲』の『仕掛け』なのだ」と。
「皆殺しにせよ」と打電
日本が朝鮮を支配するのに重大な一歩となったのは日清戦争だ。「朝鮮独立」のためと日本が言って始めた日清戦争の最初の武力行使が、朝鮮の王宮占領であった。 中塚さんは1994年、奇しくも日清戦争からちょうど100年目の年、福島県立図書館の「佐藤文庫」で、「日清戦史」の草案を調査した。その時、朝鮮王宮占領の実態が詳細に書かれた草案の記述を発見した。 そこには、この朝鮮王宮占領は、日清戦争を始めるにあたって、なかなか日本のいうことを聞かない朝鮮の国王を擒にして、日本軍のいうことを聞かせるために、事前に周到な準備をして、日本政府の出先機関である公使館(いまの大使館)と日本軍が緊密に協力して引き起こした計画的な占領であったと記されていた。 「日清戦争で日本政府は朝鮮政府に向かって宣戦布告をしていたわけではない。まさに『朝鮮の独立のため』の戦争と言ってきたのだから、こんな計画的な王宮占領の事実を公表することができなかった」 しかも、その事実を外交文書や戦史から抹殺して、記録に残らないようにしてすませてきたために、「その異常さ」がのちのち繰り返されることになったと語る。 国王が事実上、日本軍の擒になったこの王宮占領は、朝鮮の民衆の大きな憤りを招いた。「この王宮占領後、1894年秋からの農民軍の第二次蜂起は、大規模な抗日民族闘争であり、日本がその後、アジアの各地で直面する民族的・大衆的な抗日闘争の最初のものであった」と中塚さんは指摘する。 農民軍の決起に対して、日本陸軍川上操六参謀次長は同年10月26日、「向後悉ク殺戮スベシ」(これからは皆殺しにせよ)と、朝鮮にいる日本軍に電報を打った。この東学農民軍およびその鎮圧に関係する記録は、外務省外交史料館にファイルはあるものの、「日本外交文書」には一点も収録されていない。中塚さんは「『坂の上の雲』でも、この農民軍の再蜂起、抗日闘争については、まったく触れられていない」と指摘する。 「王宮が占領され国王が擒になっただけでなく、ばく大な犠牲を払ったこの抗日の闘い、その民衆的体験、それはいかに皆殺しにあったとはいえ、朝鮮の民族的体験として、忘れようとしても忘れることはできないものであった」と語る。 「隣国・朝鮮との平和的な共存なしに、日本の安全も保障されないということは、近代の歴史にさかのぼって立証されている。朝鮮をはじめとするアジア諸民族の民族の心を踏みにじったことが、あの戦争の惨禍を招き、日本を敗戦に導いた根本的な理由であったと私は研究を通して確信している。明治以降の日本の来し方を、もう一度よく振り返って、一人ひとりの日本人が自主的に考えることが大切である」と。 日朝の近代史研究に傾けた半世紀。歴史の偽造、歪んだ歴史観に警鐘を鳴らし続けた揺るぎない歩み。「なぜ、いま、NHKが『坂の上の雲』を放映するのか、おかしいぞと危機感を抱いている人も、小説に感動した人も、うさん臭いと思っている人も、ぜひ、この本を読んでほしい」と中塚さんは強く願っている。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2009.9.28] |