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若きアーティストたち(67)

ミュージシャン 金鐘太さん

 8月14日、東京・新宿のRUIDO K4で催された「爽音騒会」のステージに「HosMP☆J」の姿があった。

 演奏のみならず、ダイナミックで独特なステージングで会場を沸かせた。

 「HosMP☆J」は、関西を拠点に活動する5人組。ロック、ポップ、ファンク、フォーク…何でもこなすノージャンルバンドだ。金鐘太さんは、同バンドのベースを担当する。

 音楽好きの家族に囲まれ育ち、初級部でピアノを習い、中級部ではギターを手に取った。ベースと出会ったのは、高級部3年生のサッカー部引退後だった。友人がベースを弾く姿に衝撃を受けた。

 「地味だけど、そこにおる」−リズムの核となるベース、重低音で旋律にスパイスを加える、その存在感に心惹かれたという。

 朝大に進んだ後も、ベースを続けた。初めは趣味程度だったが、友だちとのセッション、ライブを経験するなかで音楽のおもしろさに目覚めた。そして、音楽の道を歩もうと決めたのは、大学3年の時だった。

 朝大卒業後、音楽専門学校・大阪スクールオブミュージックに入学した。2年目の06年、同じ学校に通っていたボーカルがベーシストを募集していたことがきっかけで、バンドを「Mild Seven☆」(現バンドの前身、当初4人)を結成。

 在学中は、同校企画のアーティストショーケース予選(80余組)を通過、卒業制作展「We are OSM」(15組)の舞台に上がったのちに、大手音楽企業が注目する東京の本大会に出場した経験もある。

8月14日、東京・新宿の「RUIDO K4」で行われた交歓イベント「爽音騒会」

 卒業後はライブハウスやストリートで演奏をひたすら重ねた。しかし、1年が経ち、バンド活動をふり返ってみると、ただ演奏の数をこなしていただけだった。気づけば何の目標もなく、やりがいを感じられなくなっていた。

 このままでいいのかという焦燥に駆られ、初心を見つめ直し思い改めた。

 そして一つの目標を掲げた−「100人ライブ」。1回のライブに客100人を集められなければ解散。バンドの存続を賭けたものだった。

 それから半年間ライブや告知活動を精力的に行った結果、08年8月17日、146人を集め、無事成功を収めた。

 その後も、ライブを中心にCDやDVDの自主制作にも励んでいる。インディーズアーティストのライブ映像を配信するサイト「Real BB Music」ではランキングの上位を占めている。

 今は主に、大阪と東京のステージで演奏をしている。今年末にデビューのチャンスが与えられる最終プレゼンに向けて東京でも固定客を集め、知名度を高めるためだ。

 週に2回の練習、月に2本以上のライブ。アルバイトをしながら時間をやりくりするのは難しいが、「一番好きなことだし、メンバーと過ごす時間は楽しい」から、苦にならない。

 メンバー5人中、「在日」は一人だが、「音楽が好き」という思いでつながれた結束は固い。一つの音楽、ステージを創りあげるために、共に試行錯誤し、時には真剣にぶつかり合う。「互いに成長し合える、そんな時間はとても貴重」。

 現在はバンドのリーダーも務める。メンバーをまとめ、ライブハウスや練習場のブッキング…細かくも重要な雑務などもこなす。それも「民族教育を受けたおかげ。礼儀や組織力が自然と備えられたから」と感謝する。

 「日本社会と在日同胞社会の両フィールドで活動したい。ウリハッキョの学園祭や、生徒とのコラボなんかもやりたい。もちろん、朝鮮の歌で。メンバーも応援してくれているし、両方の橋渡し的な存在になれればと思う」(姜裕香記者)

※1982年生まれ。山陰朝鮮初中級学校(当時)、広島朝鮮初中高級学校、朝鮮大学校経営学部を経て、07年大阪スクールオブミュージックを卒業。06年バンド結成、同年10月にライブデビュー。以後、大阪を拠点に京都や東京など数々のライブハウスで演奏。08年8月Kiss FM KOBE「Kiss MUSIC PRESENTER」に出演。現在、月1回ずつ大阪と東京・新宿のライブハウス「RUIDO」で交歓イベントを開催中。

[朝鮮新報 2009.8.31]